丹霞禅師

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

たんかぜんじ


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

丹霞は唐代の禅僧、天然禅師という、初め儒を學び、将に長安に入り挙に応ぜんとして、会々逆旅に於て白光の室に満つるを夢みて志を飜し、去つて江西に赴き馬大師に謁しその指導を受く、已にして南嶽石頭大師の弟子となり、元和年中洛京龍門香山に入り伏牛和尚と相許す、後恵林寺に在りし時、厳冬大家に際し、堂内より木仏を取り来りて之を焚きて曖を取る、人見て之を譏るものあり、師曰く、吾れ焼きて舎利を得んのみ、人更に曰く、木頭何ものか是あらん、師言下に答へて曰く、汝然らば何ぞ吾を責むることあらんやと、譏るもの言なくして退く、焚仏の事は屡々画家の手に画かるゝ所なり、

黒田侯爵所蔵伝因陀羅の筆は知られたるものなり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

丹霞禅師は唐代の名僧、その恵林寺にあつて、厳冬木仏を焼くの図は古来よく画かるゝ処である、『五灯会元』五に曰く

郡州丹霞天然禅師、唐元和中至洛京竜門香山、与伏牛和尚為友後於慧林寺遇天大寒、取木仏焼火、向院主訶曰、何得焼我木仏、師以杖子撥灰曰、吾焼取舎利、主曰、木仏何有舎利、師曰、既無舎利更取両尊焼、主自後眉鬚随落云々、師訪龐居士、見女子霊昭洗葉、次師曰、居士在否、女子放下菜籃斂手而立、師又同居士在否、女子提籃便行、師遂問、須臾居士帰、女子乃挙前話、士曰、丹霞在麼、女曰去也、士曰、赤土塗牛嬭、又一日訪龐居士、至門首相見、師乃問、居士在否、士曰、飢不扶食、師曰、龐老在否、士曰、蒼天蒼天、便入宅去、師曰蒼天蒼天便回。

丹霞禅師を画いたものでは、黒田侯爵家にある因陀羅の作が有名である。近くは山元春挙に大作があり、第一回淡交会に出品された。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)