三善清行

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みよしの きよゆき


画題

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解説

前賢故実

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文章博士、参議、宮内卿を歴任。儒家の経典や史書および様々な学説に広く通暁し、博識で抜群な記憶力を持ち、当時では儒学の師範の一人であった。醍醐天皇が即位した頃、年輩で功徳の高い右大臣の道真が帝に寵遇されていることに嫉妬して、左大臣の時平や大納言の源光らが、道真を陥れ太宰権帥に左遷させた。道真が失脚する前に、清行は右大臣府へ書簡を贈り、帝の寵愛を得て権力を揮う者を避けるべきだと勧告した。その書簡に「伝説上の神鳥の離朱でさえ、自分の睫毛の上にある塵が見えない。聖人の孔子でさえ、櫃の中にある物が知らない。」という言葉はあったが、道真は明哲だが意外だった勧告を退けた。延喜十四年、清行は「意見封事十二箇条」を上奏した。これは、内容が理にかない、文辞も素晴らしかったので、帝に誉め称えられ採用された。他に、あるところに幽霊屋敷があって、勇気を以てそこに住む者がいなかったため、清行はその屋敷を買い、そこで住み始めると、あやかしが消え去ったということもあった。

左大臣に随従して、京の南の水石亭で蔵外史大夫の七十歳の賀を祝い、詩文を和し奉る

鳴桐半燼遇知音(命の半分が燃え尽きた琴のようにやっと知己に出逢えたので) 七十還悲雪鬢侵(七十歳になっても鬢髪が雪のように白くなることを恨むだろう) 計老自栽松百丈(歳を数えるために自ら植えた松が高くなったが) 校高平対嶺千尋(その高さを計るために千尋の山の前に立つのだ) 紫芝未変南山想(賢人が南山での隠居を望んでいるが) 丹露猶凝北闕心(朝廷に尽したい気持ちがまだ薄れていない) 暮歯豈忘疎伝志(老齢のわたくしはどうして志を伝える書簡を忘れることがあるだろうか) 応縻相府篤恩深(書簡の贈答を以て左大臣と心が繋がり、その篤くて深い御恩に応えよう)

(『前賢故実』)