三十三間堂

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さんじゅうさんげんどう


画題

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解説

画題辞典

三十三間堂は蓮華王院の俗称にして、京都名所の一なり。本尊は千手観音、長寛二年、後白河法皇の創立なり。今の堂宇は建長三年の経営にして、束西桁行六十五間二尺三寸南北梁間九間一尺八寸五分、堂内に三千体の観音を安んず、江戸時代には大矢数と称し、堂後面の廊に於て、武士の弓の競技あるを以て名聞ゆ。名所として又矢数の場所として、古来屡々図せらるゝ所あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

蓮華王院と称し京都の一名所、『地名辞書』は記して云ふ。

旧法住寺殿の一院にして、長寛二年後白河法皇の創建なり、現存の堂宇は桁行三十五間梁間五間向拝七間単層屋根入母屋瓦葺なり、建長三年造営上棟にて、後文永三年落慶行幸の事増鏡に見ゆれば、建長中より修造に従事し、文永に及び大成したる也、元禄中修補を加ふ、南門西門も古建築なりと云ふ、抑本堂は一丈二尺間巨構にして六百余年の星霜を経て中に一千一体の仏像を奉ず、古来其名の遠近に馳せ京名所の第一に推さるゝも宜なり。平安通志云、三十三間堂は建長造営後、慶長元禄両度の補修を経たり、体式率直なれど、亦一種の建築なり、南北栄にして東面す、今尺桁行六十五間二尺五寸梁間九間一尺八寸、柱百五十八本、丹を以て之に塗り堂内には絵彩を施したり、今剥落分明ならず、向拝今尺十二間三尺とす。

蓮華王院は平清盛、長寛二年造進し、導師は尋範僧正なりき、之より先き鳥羽上皇勅建の得長寿院亦此地に在り、東鑑に『元暦二年地震得長寿院蓮華王院最勝光院以下仏閣或転倒或破損』と記し建久二年源頼朝は大江広元中原親能に命じ修造の事見ゆ、蓋得長寿の一千一百体堂を蓮華王に併せたるは此際とす、拾芥抄に此二院同く三十三間一千一体堂と号せば、同一の造営にて元暦の当時は後白河在世の折なれば蓮華王を存し他の得長寿を廃したるか。(中略)三十三間堂の西椽に射を試むるは大矢数と称し近世武術修行の一大名誉なり、万矢を放ち弓力を験する儀也、是は新熊野観音寺別当栴坊と云ふ僧の興行に初まるとぞ。

三十三間堂を画いたもの少くない。

無款三十三間堂遠矢図  松田福一郎氏蔵

歌川豊春筆       大田新吉氏蔵

川村曼舟筆       第二回帝展出品

落合朗風筆       第五回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)