つぶし島田

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総合

島田髷をつぶしたように結んだもの。その発祥は古く、『魏志倭人伝』、『古事記』、『日本書紀』や埴輪などによって考察すると、大和時代の女子の髪型は自然のままに後ろに垂らす下げ髪か、島田式結髪(つぶし島田)を鼓形に結び上げたものなどであった。江戸時代初期から元禄期にかけて名高いとされている唐輪、兵庫髷、島田髷、勝山髷、笄髷の四種の髪型は、元禄以後のものの原型とされている。中期以後に、つぶし島田を始めとした数多くの髪型が生まれた。


参考文献:河鰭実英『日本服飾史辞典』(東京堂出版 昭和44年4月25日)