「吾妻鏡」

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総合

・頼朝


・頼経

嘉禎4年2月

「…この河水にはかに落ち、供奉人所従等は浮橋を渡るに能はず。

また乗船の沙汰なし。大半河を渡る。水僅かに馬の下腹に及ぶと云々。

酉の刻、池田宿に入御。」



寛元4年7月

「…十七日 癸酉 懸河。         十八日 甲戌 池田。        十九日 乙亥 橋本。…」


・宗尊親王