近江八景

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おうみはっけい


画題

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解説

画題辞典

近江八景のこと本文に委し、今之に関する詩歌俳旬の作例を掲ぐ

勢多夕照 朴長老

沙長風帆帯夕陽、夕陽人影奥橋長勢多暴網東山月、一色江天兩景光

近衛三藐院信升

つゆ時雨もる山遠く過き來つゝ 夕日のわたる勢多の長はし

石山秋月 朴長老秋月蕭颯一天涯、霜満四山不帯霞古木回岸寒月影、吟残葉々霧中花

近衛関白政家

石山やにほの海てる月かけば 明石も須磨も外ならぬかは

栗津晴嵐

風度栗津春興長、吹霞吹雨似相狂山花片々一蘆浪、湖上閑鷗夢也香

近衛関白政家

雪はらふ嵐につれて百船も 千船も波の栗津にぞよる

唐崎夜雨

激灑湖光朝靄晴、玲瓏山色暮雲横唐崎二夜模稜子、半作松風半雨声

近衛関白政家夜の雨に音をゆつりて夕風を よそに夕立つ唐崎の松

芭蕉翁

唐崎の松は花より朧にて

比良の暮雪

吹入雲兮飛入瀾、比良嶺雪暮江寒軽舟短棹興何蓋、莫作剡渓一様看

近衛関白政家

雪はるゝ比良の高根の夕ぐれは 花のさかりに盛る頃かな

芭蕉翁

鮎飛んで山くづるゝや比良の雪

堅田落雁  朴長老

鴻雁幾行夏不孤、晩風帯月落束湖■沙背水堅田浦、猶見孔明八陣図

近衛関白政家

峰あまたこえて越路に先ちかき かたたになびき落つる雁かな

芭蕉翁

錠あけて月さし入よ浮見堂

矢橋歸帆  朴長老釣竿手熟白頭翁、辛苦客船西又東幾度風帆歸去後、呂公榮逹一盃中

近衛三藐院信升

真帆引きて矢ばせにかへる船はつま 打出の濱をあとの追風

三井晩鐘  朴長老

湖面朦朧画不成、昏鯨高響出園城霞間好是客船月、十倍楓橋半夜声

近衛関白政家

おもふその暁ちかき始めぞと まつきく三井の入相の鐘

芭蕉翁

七景は雲にかくれて三井の鐘

(『画題辞典』斎藤隆三)


東洋画題綜覧

琶琵湖畔の八景勝で、明応九年近衛政家、尚通父子が、支那洞庭湖畔の瀟湘八景に擬して歌を詠んだのに始るといふ、『和漢名数』山口幸允の『嘉良喜随筆』に見える、八景は、

比良暮雪、堅田落雁、唐崎夜雨、三井晩鐘、瀬田夕照、粟津晴嵐、矢走帰帆、石山秋月

である、比良山は湖の西、比叡の北に聳え、堅田は大津市の北三里、湖岸から水上に突出した浮見堂が名高く、海門山満長寺といひ、京都紫野大徳寺の末寺、恵心僧都の創建と伝へられ、僧都作といふ弥陀像を安置する、唐崎は堅田の南で、此の老松は有名であつたが今は枯死してしまつて、支柱のみ残り、今では新唐崎がその面影を伝へる、三井は即ち天台の古刹園城寺、即ち三井寺で大津市の西北有名な鐘楼がある、瀬田の唐橋は瀬田川に架し、長橋ともいひ、石山寺は湖の南方勢多川の畔にある、紫式部源氏物語を執筆した処として名高く、粟津は大津から石山に到る沿道で木曽義仲の戦死した古戦場、矢走は今野路村に合して瀬田の北に当る。

鎖あけて月さし入れよ浮御堂  芭蕉

唐崎の松は花よりおぼろにて  同

近江八景を画けるもの古来少からず。

京都堂上家合作            東京音羽護国寺蔵

狩野探幽筆              大河内子爵家蔵

鳥居澄久筆    『浮絵近江八景』  河浦謙一氏蔵

今村紫紅筆              第六回文展出品

一立斎広重筆             岡部長景氏蔵

葛飾北斎筆(銅版風)         渡辺庄三郎氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)