一説によると晩年の静御前は尼として過ごしたと言われており、このこともまた静の貞節さを強調するものとなっていったと考えられる。明治時代以降には道徳書などにも鎌倉での舞のエピソードが取り上げられ、静御前の義経への想いの深さはより人々の間に広まっていった。ただひたすらに夫を愛する女性としてのイメージは女子教育でも使用され、静御前は後世に名を残すこととなった。
【参考文献】
島津久基『義経伝説と文学』大学堂書店 1935年
榊原千鶴「女性が学ぶということ : 女訓から考える軍記物語」日本文学協会『日本文学』第51巻 21号 2002年
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