寛延1年(1748)8月 大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演された。翌年には、江戸の3座で相次いで歌舞伎化され、日本を代表する演目となっている。
俗に「独参湯」と呼ばれ、観客の入りが悪くなると、「仮名手本忠臣蔵」が上演され、かならず客の入りを挽回できた。そのため、上演回数は群を抜き、毎年どこかの劇場で必ずこの芝居が出ている。
別名:盛綱陣屋 真田信幸、幸村兄弟が徳川、豊臣方に別れて戦った事績をもとに作られた作品。真田信幸が佐々木盛綱に、真田幸村が佐々木高綱に仮託されている。