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『園のはな』(天保11年正月刊 )

という本が出ている。横本で、いわゆる名鑑型の出版物である。
『守貞謾稿』巻之21にこの本の一部が紹介されている。図も書入れられており、祇園町の万屋安兵衛の部分のみが書写されている。しかし、国書総目録にも記載がない貴重な資料である。
内題に「祇園六街芸妓名譜(ぎおんしんち げいこなよせ)」とあり、凡例には
此書はふるくより全盛糸の音色あるは歌妓名鑑または最中の満月などいへる書つぎ/\に
   あり。されどわづか一紙に書つゞめたれば尽ことかたし
とあって、冊子体裁として名鑑を出した最初のものと宣言している。
また、内題の肩には「毎月改正」ともみえ、この時以降毎月発行しようという意気込みが感じられる。それだけでなく、その「追出目録」には、「下河原細見 真葛乃栄」、「祇園街同新地 園乃夜桜」、「西石垣細見 花乃追風」、「二条新地細見 川そひ柳」、「宮川細見 三よ世乃枕」、「北野細見 梅乃魁」などの書名が挙がっており、シリーズ化して発行していこうとしたものであることが伺われのでる。
これだけの資料が実際に出版されていたとしたら、天保期の京都の花街に関する情報はどれだけ豊かになっていたか、想像を絶するものがある。

 しかしながら、祇園はもとより、他の新地についても、天保の改革により、天保13年(1842)から非官許の遊郭が禁止されたため、いったん廃れることになった。祇園で営業が許可されるのは、嘉永4年(1851)12月のことである。
 そのため、現存唯一であろう天保の改革前の新地名鑑『園のはな』によって、この期の祇園の芸妓衆の名前が一気に我々の前に姿を現わすことになった。例えば、その最大の置屋の一つであった京井筒屋の場合、その住所は富永町にあり、舞妓や義太夫の芸者も含めて総勢81名が連名で挙げられている。

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