浄瑠璃

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じょうるり


総合


歌舞伎

浄瑠璃節の略。江戸時代に栄えた語り物音曲の総称。 室町時代の中頃に琵琶や扇拍子を伴奏とする語り物があり、その中に牛若丸と浄瑠璃姫の恋愛談を題材とした「十二段草子」があって、これが著名であったので、この種の語り物が浄瑠璃と呼ばれるようになり、それに後になって三味線の伴奏が代えられた。三味線は元禄の頃琉球から蛇皮線が伝来してきたものに改良を加えたもので、江戸時代に入りこの三味線と、さらに操り人形が加わることで、浄瑠璃はさらに発展していき、人形浄瑠璃劇となって次第に流行し、江戸に金平節、京阪に播磨節・加賀節・土佐節などが生まれ、また別に説経節などがあっ た。 元禄頃大阪に竹本義太夫(1651~1714)が現われ、当時の音由の長所をとり入れ義太夫節をはじめたが、非常な人気を得て義太扶節は浄瑠璃と呼ばれるようになり、その詞章も作者の近松門左衛門により文学的に高級となり、義太夫節は語り物音曲として、人形劇音楽として最高のものとなり今日も行われている。特に貞享二年(1685)の『出世景清』は、義太夫独自の曲節で、近松の詞章を語った最初の作品である。近松・義太夫提携の第一作で、これを境にして以前のものを特に古浄瑠璃ということがある。 一方、江戸には元禄以後、半太夫節・河東節外記節大薩摩節などがあったが、江戸中期に豊後節が流行してより、その流れをくんで新内節常磐津節が生まれ、常磐津より富本節が、富本より清元節が分かれ、それぞれ一派をなして豊後三流といわれ、色とりどりに江戸情緒を匂わせる花として咲いたのである。 引用) 大塚信一『浄瑠璃の誕生と古浄瑠璃』、株式会社岩波書店、1998

~追記~ ・語り物の一。室町中期から、琵琶や扇拍子の伴奏で座頭が語っていた牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語に始まるとされる。のちに伴奏に三味線を使うようになり、題材・曲節両面で多様に展開、江戸初期には人形操りと結んで人形浄瑠璃芝居を成立させた。初めは金平(きんぴら)・播磨(はりま)・嘉太夫(かだゆう)節などの古浄瑠璃が盛行。貞享元年(1684)竹本義太夫が大坂に竹本座を設けて義太夫節を語り始め、近松門左衛門と組んで人気を博し、ここに浄瑠璃は義太夫節の異称ともなった。のち、河東・一中・宮薗(みやぞの)・常磐津(ときわず)・富本・清元・新内節などの各流派が派生した。浄瑠璃節。