Z0688-1-025

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和漢百物語 「酒呑童子」

【翻刻】

童子は越後の国伊夜彦山の麓に出生し好んで人の肉を喰ひしが自然と鬼形を顕したりとなん 後年丹波の国大江山に来つて緑林の主領となり宮中の官女を奪ひとり高座に遊びしが竟に頼光の計作におちいりて汚名を千歳にながしたり

菊葉亭露光記


絵師:芳年

落款印章:一魁斎芳年画

改印:丑二改 =慶応元年(1865年)二月

版元:ツキヂ大金 =大黒屋金之助・金次郎




酒呑童子は越後(今の新潟県)の伊夜彦山の麓で生まれた。彼は人の肉を喰らうのを好み、そして鬼になった。後、童子は丹波の大江山に来て、悪人の頭となった。都から皇女たちを誘拐し、美女たちと共に過ごし自分を楽しませた。最終的に、童子は源頼光の策略に陥り、汚名を後の世まで残すこととなった。


【題材】 「酒呑童子

【梗概】

丹波国大江山に住む酒呑童子という鬼が、都の美女たちをさらって世間を騒がせていた。帝の寵愛も素晴らしかった池田の中納言の娘も姿を消し、中納言は陰陽道に通ずる博士(安倍清明か)に事情を話し、姫君の居場所を占ってもらった。その結果、丹波国の鬼の仕業だということが分かり、源頼光は時の帝(村上天皇か、一条天皇か)から鬼退治の勅命を受けた。頼光と藤原保昌は岩清水八幡に、渡辺綱と坂田公時は住吉神社へ、碓井貞光と卜部季武は熊野権現へ参拝し、神仏に祈願を行った。そして源頼光は四天王とともに迷った風を装った山伏の姿になり、酒呑童子の巣である大江山に乗り込んだ。山に入ったところで、酒呑童子に妻をさらわれたという三人の老人に出会う。彼に神便鬼毒酒という、通常の人間が飲むと薬となるが、鬼が飲むと意識を失うという不思議な酒を手渡される。老人の道案内の通りに進むと血の付いた布を川で洗っている婦人に出逢う。彼女の話を聞くと、都から鬼に連れ去られた姫君のひとりであることがわかる。やがて童子の館に到着した頼光らを見て、番の鬼どもは食材として彼らを歓迎した。童子も現れ、肌は赤く背が高くて髪は振り乱したようであり、その姿は身の毛もよだつほどであった。頼光らはあくまで迷った修行者のふりをしてさきほどの酒を献上し童子に宿を貸すよう頼んだ。童子も歓迎の酒といって血を搾ったものを盃に添え、まず頼光に毒味をさせた。頼光はそれをさらりと飲み干し、肴として切ったばかりであろう腕と股とを食べた。童子はそれを見て不思議に思ったが、頼光の話を聞きうちとけたようでもあった。童子は例の酒を呑み、都からつれてきたお気に入りの姫君らを呼び寄せ、すっかり酔っ払ってしまった。酔いながら自分の出生を語り、山ではさらった美女をはべらせて自由気ままなくらしをしているが、都での噂である頼光らに怯えて暮らしていることを話しだした。頼光らはうまく交わし正体を見破られずにすんだ。童子と手下の鬼たちはすっかり酔っ払って死んだように倒れた。頼光はこれを見て鎧を身につけ参拝した三社の神の助けを得、鬼たちをずたずたに斬った。童子の首だけが天に舞い、頼光めがけてひと噛みしてきたが、星甲に恐れをなし、身に別状はなかった。手下の鬼らにも打ち勝ち、姫君たちを都に送った。頼光らの功績を感心しないものはおらず、平和な世が永久に続いた。(「御伽草子集」より作成)


【作品解説】


・「酒呑童子」を題材とする作品はたくさんあるが、その中でも描かれることが多い場面は、酒呑童子が鬼、頼光、美女たちを交えて宴会を開くところか、頼光らが鬼の姿をした酒呑童子を退治するところである。この作品には頼光は描かれていないが、宴会の場面を描いている。

・童子の前で力比べをしている女性と鬼の構図は「絵本太閤記」から取られたものという記述が以下のHPにあった。 http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/maiduru/syutennisiki1.htm (立命館アートリサーチセンター 最終閲覧日2010/6/15)

・童子の前に置かれている肉はシカの臀部。『大江山絵詞』や奈良絵本などには人肉の(ふくらはぎより下の部分)が描かれてきたのに対して、この絵は明らかに動物の肉を描いている。江戸時代の食文化は不明な点が多いが、当時の人は肉として常食としない部分だったので、衝撃的な図だったようだ。都会に住む人が山に住む人を野蛮なものとして見下す象徴として反映されたようでもある。

・酒を注ぐ柄杓のようなものも描かれている。これは『大江山絵詞』などにも欠かさず描かれている。『絵本太閤記』の挿絵にも同じようなものがある。


巨川画 「源頼光の酒呑童子退治」
鳥居派「瑠璃宮殿における酒呑童子の饗応」