ArcUP0472

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総合

恋合 端唄津くし たばこや源七 八重桐

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画題: 「恋合 端唄津くし たばこや源七 八重桐」

絵師: 三代目豊国

版型: 大判/錦絵

落款印章: 任好 豊国画(年玉枠)

版元名: 若狭屋 与市

改印: 酉二改

配役: たばこや源七・・・八代目片岡仁左衛門  八重桐・・・五代目坂東彦三郎

上演年月日: 万延2(1861)年2月

上演場所: 江戸(見立)



翻刻

本てうし

ぐちも出はづ

女じやものを

いやなものなら

なぜまたしよてに

きづよくいわれりや

あきらめる


本てうし

金時が〳〵くまをふまへてまさかりよ

もつて冨士のすそのかりくらや

よしつね弁けいわたなへのつな

からの大将あやまらせ神功后

皇武内のしんいくさ人形やよし

あしちまき菖蒲刀やあやめぐさ



語注

・しよて(初手)
手始め
・きづよく(気強く)
愛情にほだされないさま。冷淡である。つれない
・金時
坂田金時。頼光四天王の一人。「題材 頼光四天王」の項に後述する
・ふまへ(踏まへ)
支配下に収める
・まさかり(鉞)
大型の斧。刀身の背は肉厚で、刃先は弧状をなし、柄がある
・すそ(裾)
山のふもとの部分
・かりくら(狩座・狩倉)
狩りをする場所。狩場
・よしつね(義経)
源義経(平治元[1159]年-文治五[1189]年)。源義朝の九男で、幼名は牛若。治承四(1180)年異母兄頼朝の挙兵に加わり、異母兄範頼とともに義仲を討ち、さらに平氏を一谷・屋島・壇ノ浦に討って滅亡させた。梶原景時と対立し、その讒言により頼朝と不和となり、京を追われ吉野山中に逃れる。『平家物語』や『義経記』において、その姿が書き残されている
・弁けい(弁慶)
異伝も多いが、比叡の西塔桜本の僧正のもとで勉学する。義経(牛若丸)の最も忠実な家来。衣川の合戦では仁王立ちのまま戦死したことから「弁慶の立往生」という言葉が生まれた
・わたなへのつな(渡辺綱)
頼光四天王の一人。「題材 頼光四天王」の項に後述する
・ちまき(粽・糉・茅巻)
糯米や粳の粉をこねて作った餅を、錐形に茅・菰・笹などで巻き、藺などで縛り、長円錐形の包みとして、灰汁で釜にて煮る。さめてのち、塩・砂糖・きな粉・水飴などをつけて食べる。中国では、五月五日あるいは夏至に、糉を食べ、また江水に投じて水厄を避けることを願ったが、泪羅に身を投じて死んだ屈原の霊を弔うという解釈が、端午の節句にこれを食べる習慣の代表的な説明となった。
・菖蒲刀
五月五日の端午の節句に、菖蒲を刀のように腰につけた風習に始まるもの。『年中行事絵巻』には菖蒲刀、菖蒲兜をつけた男児が見える。近世中期ごろからは実用から遠ざかり、贈り物の金銀箔をつけた飾り刀へと変化した
・あやめぐさ(菖蒲草)
水辺に生える宿根草。葉は剣の形で香が強いので、邪気を払うとされ、端午の節句に軒に差し、また、神に供え、身を祝って食べる粽を包むのに用いる


参考文献:中川幸彦・岡見正雄・阪倉篤義『角川古語大辞典』(角川書店 昭和17年6月)


題材

近松門左衛門作「嫗山姥」。通称「しゃべり山姥」「八重桐廓話」。元は正徳二(1712)年7月15日初日の大阪竹本座に書き下された浄瑠璃であり、歌舞伎としては安永5(1776)年5月15日、大阪三枡松之丞座の「嫗山姥五百機錦」が初演とされている。謡曲「山姥」「仲光」「安達原」に頼光四天王の世界をからませたもの。源頼光と清原高藤の抗争が主筋で、坂田時行と八重桐の葛藤が副筋であるが、二・四段目の<八重桐廓話(しゃべり)>と<山姥>が有名で、歌舞伎でもこの二段目<兼冬館>の<しゃべり>の場のみが上演されている。作者は当時有名な女形荻野八重桐の芸風を山姥のモデルに取り入れ、その役名まで荻野屋八重桐と名付けた。当時の女形の秘訣の一はなるべく言葉少なくすることであったが、八重桐が廓話を聞かせる場面など、その方式を破って口数を多くきく場面を特に「しゃべり」と言い、「しゃべり山姥」という通称がつけられた。


参考文献:服部幸雄・富田鉄之助・廣末保『歌舞伎事典』(平凡社 2011年3月)、鳥越文蔵『歌舞伎オン・ステージ12 傾城反魂香 嫗山姥 国姓爺合戦 平家女護島 信州川中島合戦』(白水社 1989年8月31日)、山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)、飯塚友一郎『歌舞伎細見』(第一書房 大正15年10月17日)


※頼光四天王(らいこうしてんのう)

頼光四天王とは、源頼光の忠臣として知られる渡辺綱・平貞道・平季武・坂田公時の四人をいう。『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『古今著聞集』等の説話集にその名が見られる。江戸時代初期には四天王が大江山で酒呑童子を退治した伝説が古浄瑠璃の題材としてしばしば取り上げられ、元禄頃にはその系統の歌舞伎の脚本があったとされる。

『尊卑分脉』によると、渡辺綱は嵯峨源氏の流れをくむ源宛(左大臣源融の曾孫)の子で、長じて源敦(仁明天皇四代孫)の養子となっており、「渡辺当流」や「頼光朝臣郎等四天王其一」とあることから、源敦の養子になって以後、渡辺姓を称し頼光の四天王の筆頭となったものであると推定できる。

平季武については『今昔物語集』巻二十七・第四十三話や『古今著聞集』巻九・弓箭に、平貞道に関しては同じく『今昔物語集』巻第二十五・第十話にその記載が見られる。

坂田公時(金時)は幼名を金太郎といい、母は足柄山の山姥である。全身朱のごとく赤く、鉞を持ち、熊を遊び相手として成長した。天延四(976)年三月、総州太守源頼光朝臣が、上洛のみぎり、足柄山に赤色の雲気あるにより山中に分け入り、金太郎を召し出し、坂田金時と名乗らせたという伝承が『古今著聞集』や謡曲などに伝わっている。


四天王や酒呑童子の話は頼光を猛き武士として描いているが、その実像は定かでなく、いずれも後世に作られた伝説の域を出るものではないという見方もある。 「嫗山姥」においては、作品の初めからいる家来は渡辺綱だけであり、第一段で料理人喜之介を碓氷定光に、第四段で山賊熊竹をト部末竹(季武)に、怪童丸を坂田金時として加えていく。


参考文献:朧谷寿『源頼光』(吉川弘文館 昭和43年6月20日)、国史大辞典編集委員会『国史大辞典』(吉川弘文館 平成4年4月1日)、鳥越文蔵『歌舞伎オン・ステージ12 傾城反魂香 嫗山姥 国姓爺合戦 平家女護島 信州川中島合戦』(白水社 1989年8月31日)、山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)、中川幸彦・岡見正雄・阪倉篤義『角川古語大辞典』(角川書店 昭和17年6月)



あらすじ

坂田蔵人時行と元傾城の八重桐は、八重桐が廓勤めの折に親密になり、一時は所帯を持ったほどの関係であった。しかし、時行には父親の敵を討つという本望があったため、八重桐との縁を切り、離別する。しばらくのち、時行は煙草屋源七として、八重桐は紙衣姿に身をやつした傾城の祐筆として兼冬館で思わぬ再会を遂げる。沢瀉姫の求めに応じて八重桐は廓話を披露するが、その内容はあからさまに時行をなじるものであった。加えて、敵討ちは時行の妹・白菊が果たし、このために頼光が勅勘を受けたことを告げる。これを苦にした時行はその場で自害し、その魂魄が八重桐の胎内に入り込み、悶絶する。鬼女のごとく変貌した八重桐は、姫を奪いに来た敵を相手に立ち回りをする。


参考文献:古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月)



場面

『嫗山姥』のうち「恋合 端唄津くし たばこや源七 八重桐」に描かれた場面は、源七と八重桐が兼冬館にて偶然の再会を果たす場面であると推測される。

兼冬館に住まう人間にとって源七は既に馴染みの煙草屋であり、その日は沢瀉姫に廓や傾城など「大内方には珍しい戯れ女の物語」を聞かせてくれと頼まれる。しぶしぶながら、源七が三味線を掻き鳴らし歌った一曲が、以下のものである。


〽絃は昔に替わらねど、弾くその主のなれの果て、今は秋田の青清水。

〽親の撥駒紙駒に、見過ぎ世過ぎに通い廓の賑わしき。


これは坂田時行(源七)と親しくしていた時、八重桐が作り出した替唱歌であり、側を通りかかった八重桐はこれを聞いて「彼の人ならで誰が伝えたか、なつかしや」と奥ゆかしく思い、腰元のお歌に招かれて館の中へと入る。そして、衝立の蔭から出てきた源七と八重桐とが鉢合わせた場面が、「恋合 端唄津くし たばこや源七 八重桐」に描かれていると考えた。


台本:山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)より



台本

  • 演劇博物館所蔵台本


更科 さっても珍しい売物。呼び入れて痴話ぶみ書かせ、お姫様のお慰み。お歌どの、呼び入れや。

お歌 ハイ〳〵かしこまりました。

ト門の外へ出て、

 コレ傾城の祐筆どの、この御殿のお姫さまが、何やらそもじに御用があるほどに、こっちへ入りゃ。

八重 モ御用とはオヽ嬉しい。さようならば御免なされませ。

〽御用とは何やらん、お目もじさまにと夕顔の、庭の飛石すな〳〵〳〵、ちょこ〳〵〳〵と奥座敷へ、何の遠慮も並み居たる、内裏上﨟に場うてせぬ、いずれそれしゃと見えにけり。
トお歌案内して、八重桐内へ入る。皆々に会釈してよき所に住まう。腰元皆々こなしあって、

腰元 オヽ、傾城の祐筆どの、ようこそ〳〵。ほんに、何を認めさしょうやら。

トこの時衝立の蔭より、源七出て、

源七 その文句は、私が望みましょう。

〽互いに顔を見合わせて、

 ヤ、そちは。

八重 お前は。

〽女はそれと水臭き、男畜生人でなし、赤恥かゝせてのきょうかと、飛び立つ胸も人目の関、押ししずめ〳〵、心を砕き折々に後目に睨むも恋なれや。姫ぎみなんの気もつかず、


参考文献:山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)



「嫗山姥 兼冬館」と頼光四天王

先に、「嫗山姥」は謡曲「山姥」「仲光」「安達原」と頼光四天王の伝説とを絡ませたものであると述べた。今回は、「嫗山姥」の中でも歌舞伎でよく上演されている二段目<兼冬館>の中に、どのように頼光四天王が絡んできているかを見ていきたい。

頼光四天王のうち、<兼冬館>に登場するのは頼光と坂田公時(金時)の二人である。頼光は配役の一つとしては数えられていないが、舞台後半に時行(源七)とその妹・白菊、八重桐の会話の中でしばしばその名が見られる。時行より先に小夜の中山にて父の敵・物部平太を討った白菊をかくまった頼光は、敵の主人である右衛門督平正盛と清原右大将の讒言によって、勅勘の身となった。白菊は頼光の許嫁である沢瀉姫にかしずこうと、兼冬館を訪れたのである。それを聞いた源七は、正盛と右大将両人の首を取って頼光のご恩に報い、名字の恥もすすいで見せようと意気込む。煙草屋に身を紛らわせている時行であるが、ここで頼光の名が絡んでくることによって武士らしい側面を見せる。

自害した時行の魂魄を胎内に取り込んだ八重桐は、それまでの姿とは打って変わって「怒れる眼もの凄く、島田ほどけて逆様に、たちまち夜叉の鬼瓦」というような鬼女の姿に変貌する。そののちの八重桐の台詞に「今より我は伊豆の国、足柄山に分け入りて、山より山に住まいせば、山姥ともいえ、そじゃないか。・・・・・・オヽ、そじゃ〳〵〳〵、腹な子に手習い学問望みなし。」というものがあるように、原作ではやがて八重桐は山姥となり、頼光四天王の一人となる怪童丸こと坂田金時を産み育てる。つまり、八重桐は山姥の前身であり、坂田金時の母親として描かれているのである。


参考文献:山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)




登場人物

  • たばこや源七

実は坂田時行であり、八重桐とは廓での馴染み。一時は八重桐と所帯を持ったが、父の敵討ちを望んでいたため離別した。八重桐と再会した折、自身の不甲斐なさを廓話のうちになじられ、それを苦に自害。その魂魄が八重桐の胎内に入り、八重桐は不思議な鬼女の怪力をさずかった。 モデルとなったのは実在の人物・煙草屋源七であり、大阪新町の廓、佐渡島町二丁目北横町に住む煙草屋で、「源七煙草」「大内煙草」などの名で評判だったらしい。


  • 八重桐

元傾城。紙衣姿に身をやつし、傾城の祐筆と称して登場する。沢瀉姫からの頼みで廓話を披露しつつ、時行に対する恨み言を述べる。自害した時行の魂魄を胎内に取り込まされた八重桐は鬼女のごとき姿に変貌し、姫を奪いに来た敵を相手に立ち回りをする。 モデルとなったのは、元禄期の女方を代表する荻野八重桐(?~1736)である。正徳二年、近松門左衛門が竹本座に書き下した浄瑠璃「嫗山姥」の主人公を荻野屋八重桐と命名したことについて、『日本演劇史』では「暗に彼れが舞臺の面影に擬せるなるべく、これ、一面には八重桐が技藝を想像し得らるヽと共に、他の一面に於ては近松が浄瑠璃と歌舞伎との関係を窺ふべき例證の一とし得べきなり。」と述べている。


参考文献:古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月)、服部幸雄・富田鉄之助・廣末保『歌舞伎事典』(平凡社 2011年3月)、鳥越文蔵『歌舞伎オン・ステージ12 傾城反魂香 嫗山姥 国姓爺合戦 平家女護島 信州川中島合戦』(白水社 1989年8月31日)、近世文芸研究叢書刊行会『近世文芸研究叢書 第二期芸能編2 歌舞伎2 日本演劇史』(クレス出版 1996年12月25日)



配役

  • 八代目片岡仁左衛門(たばこや源七)

文化7(1810)年~文久3(1863)年2月16日。享年54歳。活躍時期は天保2年~文久3年。

大阪・京都を拠点として活動していた京阪の立役であり、安政元(1855)年の春、初めて江戸に下る。その時、風貌がその年自殺した八代目団十郎に似ていたため人気を集め、同年には中村座の座頭となった。安政4(1858)年正月、中村座「歳徳曽我松島台」に8代目片岡仁左衛門(名跡5代目)を襲名し、常右衛門・工藤・勇蔵の3役で座頭となる。時代物・世話物に適し、色立役を本領として立役・敵役・女方を兼ね、所作事・武道実事・老人役をよく演じた。『天保舞臺扇』(天保12年)において、仁左衛門が「當時、大芝居で色氣たつぷり、其の上藝の仕出し上品にしてやわらかみあり、仕打ちに味みのある…」と言われているように、彼の本領は色立役として評判であった。男振りがよく、舞臺綺麗である点においては評価されているが、体格が小さく、捨て台詞をあまりに多く言う癖が欠点であると指摘されることもある。


  • 五代目坂東彦三郎(八重桐)

天保3(1832)年~明治10(1877)年10月13日。享年46歳。活躍時期は天保13年~明治10年。

安政3(1856)年3月市村座「鶴松扇曽我」に5代目坂東彦三郎を襲名した。三十歳までの四年間は上方に滞在していたが、万延元(1860)年8月27日、江戸の中村座から出火。同年11月に江戸へと帰り、新築された中村座の舞台へ書き出し役者として現れた。当時その座頭であったのが、八代目片岡仁左衛門である。彦三郎が江戸へ帰ってきた約3ヶ月後の舞台に、「嫗山姥」八重桐役がある。中村芝翫とは明治前期の人気役者として、互いに火花の散るような競争をした。風姿・口跡がよく、かつ上品で、すべての役に熟し、武道事・実悪・女方を演じては三都随一の名人と云われたが、本領は実悪である。世話物は不向きで時代物に向いていたが、ほとんどできないものはなかった。義太夫狂言の時代物における演出は後世の範となった。


参考文献:野島寿三郎『新訂増補 歌舞伎人名事典』(日外アソシエーツ 2002年6月25日)、近世文芸研究叢書刊行会『近世文芸研究叢書 第二期芸能編3 歌舞伎3 近世日本演劇史』(クレス出版 1996年12月)、菊池明・花咲一男『原色浮世絵大百科事典 歌舞伎・遊里・索引』(大修館書店 1982年11月)、伊原敏郎『明治演劇史』(早稲田大学出版部 昭和8年11月28日)



服飾・髪型

  • たばこ屋源七

源七の衣裳には、立涌文に花菱(菱形の中に、それに適合するよう四弁の花形を入れた文様で有識文様の一つ)が使われている。


  • 八重桐

八重桐はつぶし島田紙衣というこしらえが原則である。


紙子に書かれている文字

(右肩)目出たく 坂東彦三 かしく

(右袖)下り 音羽や 當 大々叶


下り
「嫗山姥」の上演は五代目坂東彦三郎が大阪から江戸へと下ってきた約3ヶ月後に行われており、これを意図しているか
音羽や
音羽屋。五代目坂東彦三郎の屋号
「芝居が大当たりするように」という願いが込められた縁起の良い一字

  


参考文献:山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)、岡登貞治『新装普及版 文様の事典』(東京堂出版 平成元年9月30日)



役者絵に見る「嫗山姥」

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画題: 「萩野や八重桐 坂東彦三郎」

外題: 嫗山姥

絵師: 三代目豊国

版型: 大判/錦絵

落款印章: 豊国画(年玉枠)

改印: 酉三改

配役: 萩野や八重桐・・・5代目坂東彦三郎

上演年月日: 文久1(1861)年2月

上演場所: 江戸・中村(役者絵)




画題: 「たばこや源七 関三十郎」「こし元おうた 坂東村右衛門」

外題: 嫗山姥

絵師: 三代目豊国

版型: 大判/錦絵

落款印章: 豊国画(年玉枠)

改印: 酉三改

配役: たばこや源七・・・3代目関三十郎、 こし元おうた・・・初代坂東村右衛門

上演年月日: 文久1(1861)年3月・6月

上演場所: 江戸・中村(役者絵)


上の絵は二枚続きの役者絵である。





参考文献

中川幸彦・岡見正雄・阪倉篤義『角川古語大辞典』(角川書店 昭和17年6月)

朧谷寿『源頼光』(吉川弘文館 昭和43年6月20日)

国史大辞典編集委員会『国史大辞典』(吉川弘文館 平成4年4月1日)

鳥越文蔵『歌舞伎オン・ステージ12 傾城反魂香 嫗山姥 国姓爺合戦 平家女護島 信州川中島合戦』(白水社 1989年8月31日)

山本二郎・戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝『名作歌舞伎全集 第1巻 近松門左衛門集』(東京創元新社 昭和44年10月15日)

古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月)

服部幸雄・富田鉄之助・廣末保『歌舞伎事典』(平凡社 2011年3月)

近世文芸研究叢書刊行会『近世文芸研究叢書 第二期芸能編2 歌舞伎2 日本演劇史』(クレス出版 1996年12月25日)

野島寿三郎『新訂増補 歌舞伎人名事典』(日外アソシエーツ 2002年6月25日)

近世文芸研究叢書刊行会『近世文芸研究叢書 第二期芸能編3 歌舞伎3 近世日本演劇史』(クレス出版 1996年12月)

菊池明・花咲一男『原色浮世絵大百科事典 歌舞伎・遊里・索引』(大修館書店 1982年11月)

岡登貞治『新装普及版 文様の事典』(東京堂出版 平成元年9月30日)

視覚デザイン研究所・編集室『日本・中国の文様事典』(視覚デザイン研究所 平成12年1月20日)

藤原久勝『キモノ文様事典』(淡交社 2001年5月)

河鰭実英『日本服飾史辞典』(東京堂出版 昭和44年4月25日)

伊原敏郎『明治演劇史』(早稲田大学出版部 昭和8年11月28日)

飯塚友一郎『歌舞伎細見』(第一書房 大正15年10月17日)