鶏合せ

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とりあわせ


画題

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解説

東洋画題綜覧

闘鶏のこと、にわとり「」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


俗に言ふ蹴合ひで、鶏を闘はせる遊戯のこと、朝廷及び武家共に三月三日に此の行事があつた、後民間にも行はる、古く日本書紀雄略紀にあり、次いで和名抄にも見え、台記には天慶元年三月四日の条に鶏合十番あつたことが記されてゐるから、当時既に三月の節に行つたことが知られる、また承元元年三月三日及び宝治元年三月三日に鎌倉幕府で闘鶏会を設けたことがあり室町幕府でも例年此式があつて牛飼童之を勤めた、江戸時代に参内殿の階前で行ひ鶏は蔵人頭から殿上人一同まで之を献じ、牛飼童藤木仙納丸、吉田弥市丸の二人、水干を着して此事を掌り畢つて饗宴が開かれた、当日は特に禁門を開いて衆庶の縦覧を許すを例とした。  (国史大辞典)

前津屋(中略)復た小なる雄鶏を以て呼びて天皇の鶏として毛を抜き翼を剪る、大なる雄鶏を以て呼びて己が鶏として鈴金の距を著けて競ひて闘はしむ、禿なる鶏の勝つを見て亦刀を抜きて殺しぬとまをす。  (雄略紀)

鶏合せは年中行事の一として古く大和絵などに屡々画かれてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)