高野山

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こらやさん


画題

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解説

画題辞典

高野山は紀伊国伊都郡の河南峯巒重畳の間にあり、八葉の蓮花を形る八朶の連峯四面を囲みて法城を成し、三十六谷の水東に流れて不浄を洗う、その地相さながらに大日遍照の楽土にして日本無双の霊域なり。初め人跡不到の絶境なりしを、弘法大師、嵯峨天の弘仁七年隠棲の霊地を求めんとして奥大和に入りし時、会々狩場明神に導かれて此地に入り、遂に内外大結界を修して真言秘密の道場となし、両所明神を勧請し根本大塔を建立し金剛峯寺と名づく。更に秘法の久住を図り親から金剛定に入り永く仏身を山上に留む。其後真然僧正この遺志を継ぎ更に大に伽藍を建設して之を大成す。爾後歴代朝廷の尊崇厚く公卿武将の荘園を寄か進せしものも枚挙に暇あらず、江戸時代に於ては天下の諸侯争って檀契を結び宿坊を営む、その盛なる時、山上寺院の総数二千に余りしという。衆生一たび此山に登れば無始の罪を滅ぼし、假に縁を結ぶものは龍華の果を得という。遠国近郷のもの来り詣づるもの四時踵を接す、領地二万一千石外に寄附の料一万石に余る、宛然たる一大仏教王国たり、山内の景勝には高野十二境あり、屡々画家の筆に上る。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

高野山は紀伊国伊都郡の南に盤踞する山嶺で横亘数里、其の山上を高野村と曰ふ、やゝ平で金剛峰寺の寺域である、弘仁七年弘法大師上表して此の四面高嶺平原幽地の所に相し禅院を建て遂に四方七里を結界し高野の山中とした真言宗の霊場である。―狩場明神の項参照―

此の高野山と云ふは、高山の頂上に平原曠野あるを以てなる可し、其創開の時に当りて、二神の出現双犬の前導し、飛鈷の松梢に掛り、宝剣の地上に跳れる抔、皆大師行徳の至る処、凡俗の得て思儀すべきものにあらず、其後世々の法皇聖帝以下運歩の労を厭ひ給はず、登嶺有し事記籍に顕然たり、今山上に在る処の坊舎総じて一千許にして結構寄麗言語の及ぶ処にあらず、坊舎屋上悉く桧皮を以て葺けり、古は瓦にても葺きしにや頓阿法師登山のときの歌に

瓦には松さへおひて古寺の苔のむしろも法ぞしくらむ

とあり。  (名所図会)

高野老桧満山、森鬱殆不見曦影、登尽得平地、所謂金剛峰寺、寺域六十七万五千坪、周回十三里、真抄海内巨刹、寺院諸所凡七百余、市廛開舗、百貨湊集、別為一天地。  (大八州遊記)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)