弘法大師

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こうぼうだいじ


画題

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解説

画題辞典

弘法大師、名は空海、本朝に於ける真言宗の開祖なり。讃岐多度郡の人、父は佐伯田公、宝亀五年六月生る、幼名は真魚、十八歳にして京都に遊学し、三教指帰を作る、二十歳石淵の勒操に随い、二十二歳南都東大寺に受具す、延暦二十三年三十一歳にして入唐し、京城青龍寺慧果和尚に学び、真言密教両部の秘奥を相承し。大同元年帰朝し、和泉槇尾山に入り、弘仁七年紀州高野山を開く、十四年朝廷より鎮護国家の道場として東寺を賜わり、後、教王護国寺の勅号を賜わる、即ち真言一宗の根本道場なり、承和二年三月二十一日高野山に寂す、年六十二、延喜二十一年弘法大師の謚号を賜わる。空海、平城、嵯峨、淳和、仁明の四帝及嵯峨皇太后、淳和皇后に灌頂を授け、崇敬尊信を一世に寿受け、四方に巡錫しては山を開き道を通じ、殖産興業に尽したる功も多し、後世永くその遺徳を仰ぎ、尊信措かざるも故ありというべし。又書を善くして書道に於ても聖といわれ、彫刻に長じて多く仏像を刻し、いろは歌を作りて世を導く。著作には辯顕密二教論、十住心論、即身義、吽字義等を重もなるものとし、その他数種あり。

東寺、高野山智積院等にその画像あり、高野山定光院及清浄心院には童形大師像なるものあり、高野山地蔵院及福岡子爵には弘法大師行状絵巻あり。又京都東寺には土佐光信筆弘法大師行状絵伝十六巻あり、高野山地蔵院所蔵の絵巻は国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

弘法大師は真言宗の祖、法諱は空海、俗姓は佐伯氏、天台宗の祖伝教大師に後るゝこと七年、讃岐国多度に生る、幼にして儒教を外舅、阿部大足に学び、稍長じて京都に出遊し、大学明経科に入つたが意に満たぬところあつて終に志を仏教に傾け、諸国の高山大川に遊び、のち京都に帰つて『三教指帰』三巻を著はし、延暦十七年、年二十五にして出家し、奈良大安寺に三論宗を学び延暦二十三年、三十一歳の時支那に渡航し長安に入り、青竜寺の恵果阿闍梨を仰いで師資の礼を執り、真言の奥義を究め大同元年帰朝し、高野山寺に『仁王経』の大法を修す、のち東大寺の別当職を拝したが、幾何もなくして辞し高野山寺に幽棲し、最も嵯峨天皇の寵遇を辱うした、弘仁七年紀伊に赴き高野山上の地を相して金剛峰寺を建立した、弘仁十四年天皇東寺を賜うて永く真言弘通の本所とし、号を教王護国寺といふ、淳和天皇、また大師に帰依し給ふたので常に宮中に出入して秘法を修し、霊験あり、仁明天皇即位し給ふや真言院を宮中に建て、後七日の修法を行ふ、承和二年三月廿一日高野山に於て弟子を訓戒し結跏趺座して入寂した、寿六十、醍醐天皇延喜廿一年弘法大師の諡号を賜ふ、大師付法の弟子数十人、真済真雅等十人をその上足とする、著書数十部『十住心論』『秘蔵宝鑰』等有名である。  (仏教辞林)

弘法大師また書をよくし、嵯峨天皇橘逸勢と共に三筆と称せらる、蓋し大師の書は入唐の頃、韓方明に教を受けたといふ、俗に大師流の称がある、又、いろは歌を作つて世を導いたこと著名であり、彫刻にも巧みで世に大師の作として伝へらるゝもの極めて多い。弘法大師の画像、及びその一代の事跡を描いた作も極めて多い。

弘法大師画像         高野山金剛峰寺蔵

同                   京都東寺蔵

同                   京都智積院蔵

童形大師像               高野山定光院蔵

同                   高野山清浄心院蔵

弘法大師行状絵巻  (国宝)      同  地蔵院所蔵

土佐光信筆     『大師行状絵伝』  京都東寺蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)