駱賓王

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らくひんわう


画題

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解説

画題辞典

駱賓王、義昌の人、七歳詩を賦す、唐の則天武后の時、屡々上書直言して卻けられ、遂に官を棄てゝ去る、徐敬業の乱を起す時、署して府属となり、檄を草ず、その中「一杯之土未乾、六尺之孤安在」の句は量も有名なるものなり、徐業敗れて後亡命し僧となる。曾つて宋之問霊隠寺に遊び、月夜に老僧に會ひ、寺を題するの詩を作らんとして好句を得ずと上聯を請ふ、老僧楼観滄海日門対浙江潮と吟ず、之間愕然としてその非凡に驚くといふ、老僧は即ち賓王なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

唐代の大詩人、『漢土諸家人物志』に曰く、

義烏の人、七歳にしてよく詩を賦す、勃炯照隣と文章を以て名を等うす、海内四傑と称す、趙王の府属たり、後敬業の為に檄を天下に伝へ武后の罪を斥す、后見て但嘻笑す『一杯之土未乾、六尺之孤安在』と云ふに至つて矍然として曰く誰かこれを為す、或人賓王を以て答ふ、后の曰く、宰相那ぞ此人を失ふことを得んと、敬業敗れ賓王亡命して行く所を知らず、此時にあたつて狄仁傑委曲にして一に大功をはかり徐敬業慷慨して以て大義を申ぶ、然して賓王は則敬業をたすくる者なり、或は乃ち敬業は反き賓王は誅せらるといふは謬れり。

唐の宋之問が霊隠寺に遊び、月夜に老僧に会ひ寺に題するの詩の後半は出来たが上聯を願ひたいといふと、老僧即座に

楼親滄海日、門対浙江潮

と吟じたので、之問愕然としてその老僧を凝視した、此の老僧が駱賓王であつたといふ逸事は有名なものである。

『唐詩選』にはその外数首を載せてゐるが、此の逸話に関係のある『霊隠寺』の作を掲げる。

鷲嶺鬱岧嶤、竜宮銷寂寥、楼観滄海日、門対浙江潮、桂子月中落、天香雲外飄、捫蘿登塔遠、刳木取泉遥、霜薄花更発、氷軽葉互凋、夙齢尚遐異、披対滌煩囂、待入天台路、看余渡石橋。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)