宋之問

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そうしもん


画題

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解説

東洋画題綜覧

唐代の詩人、字は延清、一名は少連、汾州に生れ宋令文の子で、偉儀雄貌、少壮にして則天武后に召され詩文を以て楊炯と習芸館に分直し進んで尚方監となつた、武后嘗て洛南竜門に遊び侍臣に詩を賦せしめ錦袍を与へた時、之間は沈洤期とこれを争ふたこともある、蓋し建安以来詩律屡々変転したのが之問洤期に至つて盛唐奎運の先駆をなしたのである。然も之問は張易之に阿諛し為めに詩の代作をしたばかりか溺器まで奉仕したといふ。易之の敗るゝや嶺南に貶せられ遁げ帰つて張仲之の家に匿れたが、仲之が武三思と事を謀ると知り、これを訴へて罪を購ひ、其後も権臣に諛することのみ考へ遂に睿宗の為めに死を賜つた、だが詩文には秀でてゐたので『唐詩選』には左記の一絶ほか二三を載せてゐる。

     下山歌

下嵩山兮多所思、携佳人兮歩遅々、松間明月長如此、君再遊兮復何時。

之問が月夜霊隠寺を訪ひ、不図駱賓王に会ひ詩句を授かる場面は好個の画題である。

げつやこうぎん「月夜行吟」の項参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)