陶淵明

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とうえんめい


画題

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解説

画題辞典

陶淵明は六朝の大詩人なり、名に潜、潯陽柴桑の人、少にして高志遠識あり、時俗に俯仰する能はず、初め家貧なるを以て州の祭酒となりしも、吏職に堪えず、少日にして辞して帰る、環堵諸然風日を蔽はず、簟瓢屡々空しくして尚ほ晏然たり、州屡々召せども就かず、自ら耕し自ら資く、已にして聘せられて彭澤の令となる、官に在る八十餘日、歳の終に際し郡督郵を遣はし縣に至らしむることあり、縣吏束帯して之を迎ふべしと告ぐ、潜曰く吾何ぞ五斗米の為めに腰を折つて郷里の小児に見へんやと、即日印綬を解きて去る、帰去来辞は即ち此際に作りて其志を述べたるものなり、已にして晋亡び、宋の時代となるに及び、其祿を食むを欲せず、終世晋の処士を以て居り、清貧に安んじて自ら耕し、詩を作りて一生を過ごせり、其詩淡泊にして情味あり、六朝第一と推さる、家の辺には五株の柳を植ゑて五柳先生と称す、又最も菊を愛して之を栽培す、その飲酒の詩に「秋菊有佳色、裏露掇其英、泛乏此忌憂物、遠我遣世情」の句あり、其菊を愛し風流を楽むの境涯は古来好画題として和漢画家の好んで画く所たり、其図せらるゝもの多きが内に、

趙子昴筆(西本願寺所蔵)、趙子昂筆(郷男爵所蔵)、馬遠筆(秋元子爵旧蔵)、啓書記筆観音李白三幅対(京都大徳寺所蔵)、啓書記筆(毛利公爵所蔵)、狩野正信筆(浅野侯爵所蔵)、狩野探幽筆(真田伯爵所蔵)、大雅堂玉瀾同筆(前田候爵旧蔵)、曽我蕭白筆屏風(東京帝室博物館所蔵)等優品と推すべきものゝ二三例なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見るといふ詩により、右手に酒盃を執り左に菊を眺める隠逸の詩人陶淵明は、古来道釈人物画中の好画題である。陶淵明は潯陽柴桑の人、晋哀帝の興寧三年を以て生る、字を元亮、名を潜といふ。少くして高趣あり、博学にして文を善くし亦詩をよくす。晋の隆安四年、三十六歳の時、鎮軍参軍となつて曲阿を作つたのが処女作といはれる、文に桃花源記、帰去来辞、五柳先生伝等があつて名高い。酒を好み菊を愛したこと、その詩中到る処に散見するを見ても知られる。彭沢の令となつてゐる中、督郵が来るので、束帯で迎へよと吏にいはれ、憤然として職を抛ち、帰去来辞を作つたこと亦普く世の知る処、宋の文帝の元嘉四年、享年六十三にして歿した、後人靖節先生と諡した、その居の近くに五株の柳を栽ゑて愛したので、五柳先生といふ。  (帰去来参照)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)