阿育王山

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あいくおうざん


画題

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解説

画題辞典

阿育王山は、普通略して育王山と呼び、寧ろ其名を以て知らる。支那明州鄭縣にある山の名なり。西晋の太康二年、劉薩訶なるもの、此山上に登りて一古塔を発見し、その昔阿育王の建てたる八万四千の仏塔の一なりと信じて尊重し、爾後この山を阿育王山と呼ぶに至る。続いて梁の武帝の時、此山に在る広利寺を重修して阿育王寺と改めしむ。宋に入りて懐璉此寺に在りて宸奎閣を築き、一時最も盛なる臨済宗の道場と推され、その名遠近に聞えた。其図古く宋の無準禅師の画くものあり。又我が雪舟の入唐して帰朝後画いたもので今に伝ふるもの三本あり。

浅野侯爵家所蔵、黒田侯爵家所蔵、三井男爵家所蔵

狩野探幽筆にも育王山金山寺の対幅あリ。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那浙江省、寧波府、鄞県治内にある山の名で、略して育王山と呼ぶ。西晋武帝の大康年中、劉薩訶なるもの、此の山中に古塔を発見し、これを阿育王所建の八万四千塔の一と信じて崇拝したので、此の山名となつた。劉宋の頃、曇摩蜜多といふ印度の僧が来て、寺塔を建て、梁の武帝これを重修し、阿育王寺と名付けたので、阿育王山阿育王寺と称するに至つた。  (仏教辞林)   阿育王山を画いたものには、古く無準禅師の作があり、又雪舟の写したものが三点あつて、浅野侯爵家、黒田侯爵家、三井男爵家に所蔵されてゐる。帝室博物館には狩野益信の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)