釈奠

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せきてん


画題

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解説

画題辞典

「しやくてん」(釈奠)を見よ。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

孔子及び十哲を祭る儀礼、古くは『さくてん』又『せきてん』とも呼んだ、起原は文武天皇の大宝元年に、大学寮に幸し先聖先師を奠したのを以て嘴矢とし、其後吉備真備唐から帰朝し、礼典を携へ整へたので釈奠の儀が完成した、式場の大学寮が倒壊してからは、太政官庁に移され、後一条天皇寛仁年間に至り雨の儀を行ふ事となり、爾後近衛天皇仁平の頃、晴の儀の行はれた外は凡て雨の儀が例であつた、室町時代には応仁の乱などあつて、皇室式微の結果廃絶したが、徳川氏の時寛文十年二月十三日、忍岡孔子廟に於て釈菜を行ひ林道春を以て献官とした、幕府の釈菜の典茲に始まる、これより復興して維新前まで毎年二月と八月に聖堂に於て行はれた。  (国史大辞典)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)