脇狂言

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わききょうげん


総合


歌舞伎

 江戸の劇場には古来から伝わった狂言がある。寿狂言もそれであるが、それに次いで、興行中毎日開場前、今なれば午前四時頃、下級俳優によって必ず演じられた「脇狂言」なども、古くから伝はつたものである。何れも長唄の舞踊劇。中村座が「酒呑童子」(しゆてんどうじ)、これは初め、土佐節で演じたといふ。市村座が「七福神」、森田座が「甲子待」(きのえねまち)で、「酒呑童子]は亡び、「七福神」は曲振ともに伝存、「甲子待」は曲だけ残ってゐる。尚、控櫓(ひかえやぐら)の都座に「寿大社」(ことぶきおうやしろ)、桐座に「那須与一馬揃」(うまぞろえ)、河原崎座に「二人猩々」等の脇狂言があったが、これは開場中も演じなかったやうだ。脇狂言を毎日演じる亊も明治初年には絶えた。 尚、京坂の劇場にも、脇狂言はあった。明六ッに櫓の太鼓を打ち切り、三番叟を舞ふ。これがすんで大序の始まるまでに演じるので、二の替りは「花盗人」、三の替りは「焙烙割」、盆替りが「地蔵まつり」などときまっていた。何れも「壬生狂言」から材料をとったもの。 外に「萩大名」「川渡り」「聟入り」「米盗人」など。江戸と同じく、下級俳優が勤めた。 顔見世狂言のとき、「式三番叟」(番立)の後、出されるその座に古くから伝わる短い狂言。 中村座 「酒呑童子」「ほうろく聟」 市村座 「七福神」「竹生島」 森田座 「長者ひらき」(「甲子待」) 都座  「寿大社」 桐座  「那須の与一馬揃」「老松」 河原崎座 「寿二人猩々」 などがある。