牛若丸

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うしわかまる


総合

源義経の幼名。平安末期~鎌倉初期の武将。母と兄二人とともに平氏に捕らえられたが、まだ幼かったために、助けられて鞍馬寺に入れられた。この時期の義経の行動については、まったく不明であり、ほとんどが、伝説や創作の域を出ない。義経に関する伝説・口碑はきわめて多いが、このような普及は、おそらく御子神の信仰を背景とした幸薄の英雄を愛惜するいわゆる判官びいきによるものと思われる。


<参考文献>『増補日本架空伝承人名事典』平凡社(1986.9)


画題

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解説

画題辞典

牛若丸は源義経の少名なり、父源義朝平治の乱に敗北するや、牛若亦将に刑せられんとして特に赦されて鞍馬寺に入る、十一歳の時、慨然として父祖の恥を雪がんとし、日夜山に入りて武技を習ふ、世に僧正坊なる天狗に導かれて武技を励み、兵法を授かると伝ふ、又京に出でゝは五条橋上に武蔵坊弁慶が百人斬を志して来れるに会ひ、之と相撃ち巧に翻弄して遂に之を臣とすという、是等のこと武家時代に於て好画題として画かれたる所なり。

狩野探幽筆牛若九(徳川公爵所蔵)、英一蝶筆鞍馬山図(秋元子爵旧蔵)、土佐光起筆牛若九(下条虎治郎氏所蔵)

などあり、尚ほ源義経の条を見るべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

源義経」を見よ。  

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


義経十五歳までの名、その命名の由来定らかならず、『義経記』には

九条院の常磐が腹にも三人あり、今若七つ、乙若五つ、牛若当歳子なり、清盛これを取つて斬るべき由をぞ申しける

と丈けあり、次で鞍馬入となる

七歳と申す二月初に鞍馬へとぞ上られける、その後昼は終日に師の御坊の御前にて経を読み書学して,夕日西に傾けば夜の更けゆくに仏の御あかしの消ゆるまでは共に物をよみ五更の天にもなれども雨もよひもすくまで学問に心をのみぞ尽しける。  (義経記)

牛若を画くもの多く稚児輪髷に黛黒く、高足駄を穿き太刀を佩き、時に笛を吹いた優美の姿に画かる。

狩野栄信筆  (左右桜三幅対)  紀州徳川家旧蔵

狩野常信筆            池田侯爵家旧蔵

谷文晁筆             波多野古渓氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)