焦山

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しょうざん


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那江蘇省鎮江府城の東、揚子江中に在る島で府城を距る遠からず、後漢の処士焦光がここに隠れたので此の名があるといふ、一名浮玉山といひ、古書には譙山、樵山とも書く、島は大きくはないが山麓には仏閣を建て江水は閣の前に逼り幽邃閑雅、仙境の如き感じがあり、金山、北固山と共に鎮江三勝の一とせられ、寺の名を定慧寺といひ府志によれば漢の興平年中創設し、初め晋済寺と称したが、宋の景定年中に再建して焦山寺と改め清の康熙二十五年勅額を賜ひ、今の名に改めたといふ、乾隆中、皇帝の行幸すること六回に及んだといふ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)