河原合戦

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かわらがっせん


画題

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解説

東洋画題綜覧

源義経の木曽義仲征討で三条河原に両軍戦ふこと『源平盛衰記』に詳しく、此の合戦に於て義仲の妾巴が、畠山重忠と一騎討して勇名を轟かす段人口に膾炙せらる、『盛衰記』に曰く

其中に木曽方より萌黄糸縅の鎧に射残したりける鷹羽征矢負て滋籐の弓置中取、芦毛馬の太逞きに少き巴摺たる鞍置て乗たりける武者、一陣に進て戦けるが、射も強切も強、馳々々責けるに、指も名たかき畠山、河原へ颯と引て出、畠山半沢六郎を招て、如何に成清、重忠十七の年小坪の軍に会初めて、度々の戦に合たれども、是程軍立のけはしき事に不合、木曽の内には、今井、樋口、楯、根井、此等こそ四天王と聞しに、是は今井樋口にもなし、さて何なる者やらんと問ければ、成清あれは木曽の御乳母に中三権頭が娘巴と云女也、つよ弓の手だり荒馬乗の上手、乳母子ながら妾にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を不取、今井樋口と兄弟にて怖しき者にて候ふと申、畠山さてはいかゞ有べき、女に追立られたるも云甲斐なし、又責寄て女と軍せん程に不覚しては永代の疵、多者共の中に巴女に合けるこそ不祥なれ、但木曽の妻といへば懐きぞ、重忠今日の得分に巴に組んで虜にせん、返せ者共とて取て返し、木曽を中に取籠て散々に蒐、畠山は巴に目をぞ懸たりける、進退き廻合/\んと廻ければ、木曽巴を組せじと蒐阻々々て、二廻三廻が程廻ける処に巴強ち近く廻合ふ、是は得たる便宜と思ひ、馬を早めて馳寄て巴女が弓手の鎧の袖に取附たり、巴叶じとや思けん乗たる馬は春風とて、信濃第一の強馬也、一鞭あててあふりたれば、鎧の袖ふつと引切て二段計ぞ延にける、畠山、是は女には非ず鬼神の振舞にこそ加様のものに矢一つをも射籠られて永代の恥を不可残、引に過たる事なしとて河原を西に引退き、院御所へぞ帰参りける。  (源平盛衰記三五)

此の合戦を画いたものに左の作がある。

川辺御楯筆  『河原合戦』双幅   宮田氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)