周茂叔

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しゅうもしゅく


画題

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解説

画題辞典

周茂叔、名は敦頤、宋代の学者なり、初め敦実といいしが、英宗皇帝の諱を避けて敦頤に改む。茂叔はその字たり、家世々儒を業とす、官に仕へて寧縣の主簿となり、疑獄を断じて令名あり。皇祐二年桂陽の令となり、至和元年更に南昌の令に移る、爾来諸方に知として到る所に名あり。後南康軍に知となり、尋いで官を罷めて蘆山下蓮花峰下に草廬を構へ、此に晩年を送りて、年五十七を以て卒す。寧宗皇帝元と謚し、理宗皇帝汝南伯を追封す。著書に太極図説、易通、易説等あり、宋義現の學は実に茂叔によりて開かれたるものにして、門下より程顥、程頤の二子出でて大成したり、性甚だ蓮花を愛し、蓮は花の君子なるものと称し、之を山麓の濂渓に植ゑて楽しみたり、作る所愛蓮説あり、されば茂叔を画くもの多くは蓮花を配するを習とす。

伝馬遠筆(伊達伯爵旧蔵)、狩野正信筆(伊達伯爵旧蔵)、狩野探幽筆(末松子爵旧蔵)、狩野探幽筆(真田伯爵所蔵)、曽我蕭白筆(東京帝室博物館所蔵)、岸駒筆(西村総左衛門氏所蔵)、近くは橋本雅邦及現代各家の作あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

周茂叔は支那宋代の高士、世々濂渓に住むを以て濂渓先生といふ、平常を愛し、その『愛蓮説』は洽く人口に膾炙する処、『古文真宝』に載する処の伝に曰く。

先生、世々家道州営道県濂渓之上、姓周氏、名惇実、字茂叔、後避英宗旧名改惇頤用舅氏竜図閣学士鄭公向奏、授洪州分寧県主簿、県有獄久不決先生至一訊之弁、衆口交称之、部使者薦以為南安軍司理参軍、移郴及桂陽令、用薦者改大理寺亟、知洪州南昌県事、簽書合州判官事、通判虔州事、改永州権発遣邵州事、熙寧初用趙清献公、呂正献公薦為広南東路転運判官、改提点刑獄、公事未幾而病、亦会水齧其先墓、遂求南康軍以帰、既葬上其印綬、分司南京、時趙公再尹成都復奏起先生、朝命及門而先生卒矣、熙寧六年六月七日也、年五十有七、葬江州徳化県清泉社、先生博学力行、聞道甚早、遇事剛果、有古人風為政精密厳恕、務尽道理嘗作太極図、易説、易通数十篇、詳見伊洛淵源録、及通書朱子序。云々。

その『愛蓮説』は、蓮の美を頌して余蘊なきものがあり、又、同書に載す。

     愛蓮説     周茂叔

水陸草木之花、可愛者其蕃、晋陶淵明独愛菊、自李唐来、世人甚愛牡丹、子独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭々浄植、可遠観而不可褻翫焉、子謂菊、花之隠逸者也、牡丹、花之富貴者也、蓮、花之君子者也、噫菊之愛陶後鮮有聞、蓮之愛、同予者何人、牡丹之愛、宜乎衆矣。

周茂叔の濂渓に舟を泛べて蓮を愛するの図は古来好んで画かるゝ処、名作亦少くない。

伝小栗宗丹筆(重美)    根津美術館蔵

土佐光起筆         川崎男爵旧蔵

小室翠雲筆  『周濂渓』  第八回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)