南泉斬猫
なんせんざんびょう
画題
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解説
画題辞典
南泉禅師、普顧という、唐代の禅僧なり、南泉斬猫は禅家の公案にして、碧巖集、無門関、従容録共に之を載す、南泉一日束西の堂に猫児を争ふものあるを見、直に入りて其猫児を捉え、一手刀を執り、而していうて曰く「大衆道得即救、道不得即斬却也」と、此際何物か言ひ得れば即ち猫を救はんも、言なくんば即ち斬らんとなり、衆之に対して言ひ得るもの一人なく、猫児遂に斬殺さる、已にして晩景に及びて、趙州和尚外より帰来す、南泉猫児のことを以て趙州にいう、趙州履を脱し頭上に安んじて出づ、南泉之を見て云く、前に趙州在らば即ち猫児は救はれたらんものをと、是れ実に禅家に於て最も幽玄なる公案とせられたるものなり、亦好画題として取扱はる、
参河林彦右衛門氏所蔵に渡辺崋山の図あり。
院展に富田渓仙の出品あり、
南泉禅師のことはその条を見るべし。 ′
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
南泉斬猫は禅家の公案である、前掲(南泉)の如くである、即ち南泉一日、東西両堂に猫児を争ふものあるを見、師衆に謂て曰く、大衆道ひ得れば即ち猫を救はん、道ひ得ざれば即ち猫を斬却する也と、衆之に封し謂ひ得るものなく、猫遂に斬らる、已にして趙州外より帰り来る、南泉此を語る、趙州履を脱ぎ頭上に安んじて出づ、南泉之を見、前に趙州あらば、猫は救はれたらうものをと。
これを描いたもの多く、近く富田渓仙の作聞えてゐる、日本美術院出品である。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)
南泉禅師は普願といふ、鄭州新鄭の人、唐代の禅師である。南泉斬猫は禅家の公案で碧巌集無門関、従容録等にこれを載せている。南泉一日東西の堂の猫児の争ふものあるを見る、直ちに入つて其の猫を捕へ手に刀を執り曰く『大衆道得即故、道不得即斬却也』と此の際物を言ひ得れば猫は救はれるのであるが、衆、一人もこれに対し道ふこと能はず猫遂に斬らる。既にして趙州和尚外より帰る南泉猫の事を以て趙州に曰ふ、趙州履を脱し頭上に安んじて出づ、前に趙州あらば救はれたらんものをといふのである。
富田渓仙にその作がある。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)