千早城

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ちはやじょう


画題

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解説

東洋画題綜覧

千早城また千剣破城に作る、楠木正成の拠つた城で、河内国南河内郡千早村金剛山の西南腹にその址がある、城は元弘年中正成の築く処で、同三年二月吉野、赤坂陥り関東の兵悉く本城に聚り正成を攻めたが、正成よくこれを守つたので東軍は遂に利を失つた。藁人形の奇計、投松明、水弾等で散々に敵を悩まし、八十万と聞えた寄手、僅かに十万余騎になつてしまつた、『太平記』第七に精しい。

正成所存の如く、敵をたばかり寄せて、大石を四五十、一度にばつと発す、一所に集りたる敵三百余人矢庭に討ち殺され、半死半生の者五百余人に及べり、軍はてゝ是を見れば、哀、大剛のものかなと覚えて、一足も引かざりつる兵、皆人にはあらで藁にて作れる人形なり、是を討たんと相集り、石に打れ矢に当りて死せるも高名ならず、又是を危みて進み得ざりつるも臆病の程顕はれていふかひなし、唯兎に角にも万人の物笑とぞなりにける。  (太平記巻七)

合戦絵として、よく画かる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)