于公高門

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うこうこうもん


画題

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解説

画題辞典

前漢于定国の父于公、県の獄吏、郡の決曹となり、獄を治するに公平なり、郡中為めに生ながら祠を立てゝ之を崇むという。会々于公の門閭壊る、父老方に之を治せんとす、于公曰く少しく門閭を高大にし駟馬高蓋の車を容れしめよ、我れ獄を治めて陰徳あり、子孫必ず興らんと、子定国果して宣帝の時丞相となり西平侯に封ぜらる。

渡辺崋山画く所(菊池長四郎氏所蔵)名あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

于定国は支那前漢の政治家、字を曼倩といひ、宣帝に仕へて廷尉となり御史大夫に進み後丞相に昇つて西平侯に封ぜられた、その父于公は県の獄吏であつたが、公平を以て民を治めたので郡民之を徳として生きながら祠を建てゝ之を崇めた、会々門が壊れたので、郡の故老之を繕はうとすると、于公は門を高くして駟馬高蓋の車を容れしめよと曰つた、人その故を問うと、我れ獄を治めて陰徳あり子孫必らず栄えやうと、其子定国果して丞相にまで立身した、この物語『前漢書』『蒙求』にあるが清少納言が『枕草子』に引用したので有名になつた、同書十一段大進生昌の項に曰く、

などてかその門狭く造りて住み給ひけるぞといへば、笑ひて家のほど身のほどに合せて侍るなりと答ふ、されど門の限を、高く造りける人も聞ゆるはといへば、あなおそろしと驚きて、それは于定国がことにこそ侍るなれ、ふるき進士などに侍らずば承り知るべくも侍らざりけり、たま/\この道にまかり入りにければ、かうだに弁へられ侍るといふ、その道もかしこからざんめり。

之を画いたものに有名な渡辺崋山の作(重要美術品中野忠太郎氏蔵)があり、他にも春耕といふ人の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)