阿新丸
くまわかまる
画題
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解説
(分類:武者)
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
南北朝時代の人、日野権中納言資朝の子、資朝藤原俊基等と北条氏を滅さんと謀り顕はれて佐渡に流さる、翌年佐渡の守護本間入道をして資朝を斬らしむ、事京都に聞えた、時に阿新十三歳、母と共に仁和寺の辺に隠れてゐたが、父の最期近きにあると聞き中間一人を伴ひ佐渡に渡り本間入道の館に至つた、入道引見したが父に会ふことを許さず、既にして入道は遂に資朝を斬りその骨を阿新に与ヘた、阿新大に歎き悲しみ且つ入道の無情を憤り、中間をして父の遺骨を京に持帰らしめ、身は一人父の讐を報ぜんと決意し、風雨の夜、館の中に忍び込み、入道の寝所を探す中、入道は居らず、子の三郎が刀を枕許に寝てゐたのを見、三郎は父に刀を加へたるものと阿新之を斬らうとした時、偶々開いた障子の隙から蛾が飛入り灯を消したので、其刀を奪つて三郎を殺した、折柄家の人々騒ぎ出したので竹薮の中に匿れ自殺しやうとしたが、心を翻し命を完うして君国の為めに尽さうと志し、一策を案じ老竹に登りその撓みによつて濠を越え山伏に命を助けられて京に帰つた、後、出仕して左兵衛佐となり、後村上天皇の時左兵衛督となる、正平五年勅を奉じて鎮西の賊を討ち功あり、後中納言となつた、藤原光邦がそれである。 (太平記)
その『太平記』の記述により歴史画として画かれたもの少くない。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)