寂蓮
じゃくれん
画題
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解説
東洋画題綜覧
藤原時代の歌人、中務少輔、僧俊海の子、幼にして才名あり、叔父俊成養つて子とし中務少輔に任ぜられた、俊成の子定家生るゝに及んで避けて僧となり、名を寂蓮と改めた、丹青の技に秀で和歌を善くし世に称せらる、当時僧顕昭また和歌の道で自負する処があり、寂蓮とも交深かつた、顕昭は学識該博であつたが才思乏しく寂蓮は学識は顕昭に及ばなかつたが、和歌は顕昭の上にあつた、顕昭の曰く、和歌は芸に於て至難なものではない、寂蓮の如き学ぼずして猶ほ能くすと、寂蓮の曰く、天下にむつかしいもの和歌の外にはない、顕昭の博学に於てすら猶ほ能くし難いと、顕昭答へることが出来なかつた、建仁二年七月二十日歿す。 (大日本史)
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)