松の下露
まつのしたつゆ
画題
画像(Open)
解説
東洋画題綜覧
『太平記』巻三、後醍醐天皇、笠置御落を画題としたもの、北条九代の執権高時、大逆主上に叛き関東勢を以て官軍を攻めたので、天皇遂に都を遁れさせ給ひ笠置の行宮に入らせ給うたが、こゝもまた賊軍の手に帰したので天皇は僅かに藤原藤房、季房二人を従へ給うて笠置を落ちさせ給ふ、其時の御製と藤房の歌が主題となつてゐる、本文を引く
忝くも十善の天子、玉体を田夫野人の形に替へさせ給ひて、そことも知らず迷ひ出させ給ひける、御有様こそあさましけれ、如何もして夜の内に赤坂の城へと御心ばかりを尽されけれども、仮にも未習はせ給はぬ御歩行なれば、夢路をたどる御心地して一足には休み、二足には立ち止り、昼は道の傍なる青塚の陰に御身を隠させ給ひて、寒草の疎なるを御座の茵とし、夜は人も通はぬ野原の露分け迷はせ給ひて羅穀の御袖をほしあへず、とかうして夜昼三日に山城多賀の郡なる有王山の麓まで落させ給ひけり、藤房季房も、三日まで口中の食を断ちければ、足たゆみ身疲れて、今は如何なる目に逢ふとも逃げぬべき心地せざりければ、せん方なくて幽谷の岩を枕にて君臣兄弟諸共に、うつゝの夢に伏し給ふ、梢を払ふ松の風を、雨の降るかと聞召して木蔭に立ち寄らせ給ひたれば、下露のはら/\と御袖にかかりけるを、主上御覧ぜられて
さしてゆく笠置の山を出でしより天が下にはかくれかもなし
藤房卿涙をおさへて
いかにせんたのむ蔭とて立ちよれば猶袖ぬらす松の下露
これを画いたものに左の作がある。
植中直斎筆 第十五回文展出品
林雲鳳筆 同
平福穂庵筆 『笠置山』 秋田県本荘家旧蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)