伯夷叔斉
はくいしゅくせい
画題
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解説
東洋画題綜覧
伯夷叔斉共に支那殷の世の処士、孤竹君の子で伯夷は兄、叔斉は弟である、武王殷の紂王を伐たんとするや、伯夷叔斉馬を叩いて諌めたが聞かれず、周の天下となるや、渇しても周の粟を食まずと首陽山に隠れ薇を採て食ひ遂に饑ゑて死す、その伝『史記』に詳しい。
西伯卒、子発立、是為武王、東観兵至於盟津、諸侯不期而会者八百、皆曰、「紂可伐矣、王不可引帰、紂不悛、王乃代紂、載西伯木主以行、伯夷叔斉叩馬諌日「父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎、以臣弑君可謂仁乎」、左右欲兵之、太公曰「羲士也」、扶而去之、王既滅殷為天下、天下宗周、伯夷叔斉恥之不食周粟隠於首陽山、作歌曰「登彼西山兮采其薇矣、以暴易暴兮、不知其非矣、神農、虞夏忽焉没、我安適帰矣、于嗟徂兮、命之衰矣」、遂餓而死。 (十八史略)
これを画いたものに左の作がある。
狩野元信筆 秋元子爵旧蔵
狩野常信筆 池田侯爵家旧蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)