梨壷五人
なしつぼごにん
画題
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解説
東洋画題綜覧
村上天皇の天暦五年十月、坂上望城、源順、紀時文、大中臣能宣、清原元輔等五人を梨壷に召し万葉集を読解せしめたついでに後撰集を撰ばしめられた、これから此の五人を梨壷の五人といふ。
大中臣能宣は祭主頼基の子、世々和歌を善くし能宣に至つて最も称せらる、天暦年中讃岐権掾となり天徳中神祇少祐後大祐に転じ、天禄中従五位を授けられ、大副に転じ祭主となり正暦二年卒す、年七十。
紀時文は貫之の子、和歌をよくし兼ねて書を善くす、大膳大夫内蔵助を経て従五位上に至る。
清原元輔は下総守春光の子、世々和歌を善くし元輔に至り最も著はる、天暦中河内権大目と為り大中臣能宣等と和歌所の寄人となり、万葉集に訓点す、寛和年中肥後守に任ぜられ正暦元年卒す年八十三。
坂上望城は是則の子、和歌をよくす、天暦五年後撰集の撰に与つたことの外、事跡生歿年詳かでない。
源順其項を見よ。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)