重源

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ちょうげん


画題

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解説

東洋画題綜覧

真言宗の僧、俊乗房と号した、俗姓紀氏、初め重定といふ、京都の人で十三の時醍醐寺で得度し、十七歳で四国地方を巡り、十九歳で大和の大峰に登り修行し、後、信濃の善光寺に参籠祈願し、加賀の白山、越中の立山等に登り行を積み、尋で法然上人に依り浄土に帰し自ら南無阿弥陀仏と号した、治承四年東大寺兵人に罹るや、再建の計劃あり、法然の推挙によつてその大勧進職となり、自ら一輪車を造つて乗り諸国を巡歴して募縁勧化をなし文治元年八月、大仏の修繕落成し開眼供養を挙行し、六年三月東大寺再建の工事落成し落慶供養を修し、後鳥羽天皇の行幸を仰ぎ、将軍頼朝の参詣もあつて盛儀を極めた。その後、諸国諸寺の仏像を造立し堂塔を修理したものなど枚挙に遑もない、建永元年六月四日入寂した寿八十六。

重源が一輪車に乗り、大仏勧進をなす処を描いたものに、左の作がある。

新井勝利筆  『大仏勧進』  第十六回院展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)