藤原諸葛

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ふじわらの もろくず


画題

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解説

前賢故実

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從五位上の有統の子。はじめは但馬介であったが、從三位、中納言にまで累進した。陽成天皇が暴虐な振る舞いをしていた頃、太政大臣基経が公卿たちを集め、帝の廃位について議論しようとしてときに、百官が怖くて優柔不断になり、発言する者がいなかった。その場にいた諸葛は、怒りの目をして剣を押えながら、前へ進み出て「今日のことは、天下の安危にかかわることだ。太政大臣のお考えに従うべきだ。あえて従わない者がいれば、この場で斬る。」と言った。こうして、陽成天皇を退位させることは、この場で決定された。寛平七年に諸葛は上表して官職を辞した。同年に逝去、享年七十歳。

(『前賢故実』)