老莱子
ろうらいし
画題
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解説
画題辞典
老莱子に支那の高士なり、楚の人、楚の乱るゝ時、免れて蒙山の陽に匿れて、耕して日を送る、王特に駕を枉げ来リ訪ふ、時に来子畚を織る、王曰く願くば先生を煩はして守国の政を執らんと。莱子諾ず、王去る、已にしてその妻帰り来りて此事を聴き、即ち曰く、酒肉を以て食はすものは随つて鞭撻すべし,官禄を以て擬するものほ随つて鐵鉞すべし、何ぞ畚を投せざる云々」、莱子亦妻に随ひ江南に去る著に老莱子あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
支那春秋戦国時代の高士、楚の人で、楚の乱るゝや免れて蒙山の陽に隠れ耕作して日を送つた、楚王特に駕を抂げて訪ふと、折柄莱子は畚を織つてゐた、王の曰く願はくは先生を煩はして国政を執らんと、莱子之を諾す、やがて莱子の妻他より帰つてこれを聴き酒肉を以て食はすものは鞭つべく官禄を擬するものは鉞を加ふべしと莱子この言葉に従つて江南に去つた。
老莱子また至孝、年七十に至つてよく両親に仕へ常に小児の真似して親を楽しませた、孔子もその賢を賛し伝を聞いて容を改めたと―(二十四孝)参照―
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)