大黒天
だいこくてん
画題
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解説
画題辞典
七福神の一にして福の神なり、我が大国主命にして、天竺の摩訶迦羅に当る、彼地にては時に軍神として摩利支天の如く崇拝せらる、されば通常の福徳円満の像の外に古きものには勇烈の相貌を写せる立像あり、九州観世音寺の木像の如き其の一例なり、吾の大国主命と天竺の摩訶迦羅の両神を合せて一体とせるは、伝教大師が両部を習合して一体とせるに拠るなり、大黒天神経には「此神一切貧窮無福の衆生の為めに大福徳を与へんが為めに形を顕はす」という、天竺にては其像金槌と嚢を執り小牀に坐し一脚を垂れしむという、大国主命にも八十神の為めに嚢を負ひし伝あり、難を鼠に助けられし伝あり、夷服を着し円き帽子を被り槌を持つは、天竺の像より来れるなるべし、之に大根を配することあるは蕪菁の音株に通ずるによる故なるべし。
狩野山樂筆蔵入大黒(三井元之助氏所蔵)、
仲安和尚筆大黒天(京都田中氏所蔵)、
狩野探幽筆夷大黒(佐竹候爵所蔵、根津嘉一郎氏所蔵)、
緒方光琳筆雲中大黒(馬越恭平氏所蔵)、
同筆夷大黒(高橋男爵旧蔵)、
渡辺崋山筆大黒天(山本安三郎氏所蔵)、
其他作例極めて多し。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
梵語に摩訶迦羅、大黒の義、又、大黒神と訳す、天竺の神、飲食を充饒にす。
南海寄帰伝『西方諸大寺処、或於食厨柱側、或在大庫門前、彫木表形、或二尺三尺為神王状、坐把全嚢却踞小床、一脚垂地毎将油拭、黒色為形、号曰莫訶歌羅、即大黒神也。』
今又、福神の名、常に狩衣の如き服を着、帽を蒙り左肩に袋を負ひ、右手に打出の小槌を持ち、米俵の上に居る所を画けり、或は云ふ寺の厨に安置する形、大己貴の袋荷となれる古式に似て、大国主の『だいこく』と音通ふより此神に縁ある鼠を画きそへて、一種の神としたり、仏経に、福徳自由の神。 (大言海)
膚色悉作黒色、頭令冠烏帽子、悉黒色也、令著袴、躯塞不垂、令著狩衣裙短袖細、右手作拳、令収右腰、左手令持、大袋、従背令懸肩上、其袋之色為鼠毛色、云々、若吾安置伽藍、日々敬供者、吾寺中令住衆多僧、毎日必養千人之衆云々、若人三年専心供吾者、吾必此来、洪人授与世間富貴、乃至官位爵禄。 (大黒天神法)
大黒天を画いた作の主なもの左の如し。
狩野山楽筆 『蔵入大黒』 三井男爵家蔵
狩野探幽筆 『夷子大黒』 佐竹家旧蔵
尾形光琳筆 双軒庵旧蔵
啓書記筆 浅田家旧蔵
狩野常信筆 池田侯爵家旧蔵
光琳筆 『雲中大黒』 馬越恭平氏遺愛
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)