隻履達磨
せきりだるま
画題
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解説
画題辞典
達磨の手に隻履を持ちて立てるさまを図したるを、隻履達磨又初祖隻履という、伝へいう菩提逹磨支那に渡りて法を伝へ、梁武帝大同二年十月五日、流支光統の二僧の進めし毒を、自ら知りながら服し、端座して寂し、その歳十二月二十八日熊耳山に葬り、塔を定林寺に建つ、然るに三年の後、魏の宋雲西域に使し、帰途葱嶺を過りしに、その地に於て逹磨の隻履を携へて行くに遇ひ、間語して帰り、天皇に之を奏せりという、帝即ち令して壙を開かしめしに唯一隻の革履を存せしのみなりという、是亦和漢画家の図する所なり、
近くは橋本雅邦の作あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
だるま「達磨」の項を見よ。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)
達磨の手に隻履を持ち立てる姿を画いたもの、達磨支那にあつて梁武帝の為め、流支光統二僧の盛つた毒を、それと知つて服し端座して入寂し、熊耳山に葬つたが、三年後、魏の宋雲が葱嶺を過ぎた時、『見手携隻履翩々独逝』とある。 (伝灯録)
橋本雅邦筆 窪田惣八氏旧蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)