晋文公拝塊
しんぶんこうはいかい
画題
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解説
画題辞典
晋の献公驪姫を愛して内乱を招き、諸公子他国に亡命す、公子重耳あり、忠臣を従へ諸国に巡視し、道に飢餓に苦しむ、土民之を侮り土塊を食はしむ、重耳怒る、子犯曰く、君尺土なし土を得るは是れ天の賜なりと、重耳受けて拝して之を食ふ、後諸公の覇となり晋文公と称す。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
晋文公姓は姫、名に重耳、晋二十四代の君で献公の第二子である、献公驪姫を寵愛し為めに内乱を招いたので、文公は忠臣子犯と共に乱を避けて他国に亡命すること十九年、或る時饑餓に苦しむ、土民之を侮つて土塊を食はせた、重耳大に怒る時に子犯諌めて曰くいま君尺土を有たず、土を得るは天の賜と、重耳受けて之を拝す、後、王位に即き、晋の天下これより隆昌となつた、『晋文公拝塊』は人物画として画かれてゐる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)