A4-2 玉藻前

「殺生石後日怪談」
作者:曲亭馬琴   絵師:歌川豊国〈1〉
判型:中本     出版:文政8年(1825)
所蔵:立命館大学ARC 作品番号:hayBK03-0235.

[解説】
『殺生石後日怪談」は曲亭馬琴を作者とする合巻。挿絵は後に豊国の名を襲名する歌川国貞によるもの。能の「殺生石」で玉藻前が殺生石になった後の怪異についての物語。右図の挿絵は玉藻前がその姿を現した場面。
 玉藻前は中国の九尾の狐と同じものであるとされている。
九尾の狐の経歴は、殷の時代紂王の后の妲己として最初にあらわれ王と共に酒池肉林の贅沢にふけり無実の人を炮烙の刑に処するなどの暴政を敷くも、周の武王によって捕まり太公望の力で退治された。しかしその後天竺のマカダの王子の妃、華陽夫人として再び現れ暴虐の限りを尽くすが、またも退治される。さらに周の幽王の后褒姒として現れ、傾国の原因を作った。その後遣唐使船に紛れて日本に上陸し、鳥羽上皇の寵姫玉藻前となり鳥羽上皇を病に伏せさせるが、安部康成に見破られ三浦介、上総介に討たれ殺生石となった。
 玉藻前のモデルは鳥羽上皇に寵愛された美福門院(藤原得子)とされている。美福門院は正妻の待賢門院を追い出して自分の権力を確かなものにし、鳥羽上皇の死後多くの荘園を譲り受けた。保元の乱では自分の地位をうまく利用し後白河天皇をサポートし勝利に導く。さらにその後、自分の息子の守仁親王の即位を求めこれを実現する(二条天皇)。しかし、これが後白河院勢力の反感を買い平治の乱に発展する。
 鳥羽上皇の寵愛を受けたことによって権力を持ち、自身の子供を使いさらなる権力を得ようとしたことで悪女とみなされ、中国の妲己や褒姒などに化けたとされる九尾の狐伝説などを取り込んでいき、玉藻前の妖怪譚として成立させた。(小)