浄瑠璃御前物語は浄瑠璃、十二段草子とも呼ばれ室町中期ごろ成立したと考えられている。作者不明ではあるが、三河鳳来寺の巫女集団(冷泉派か)によって東海道筋に広められていった遊女と貴公子の恋愛奇譚の一つが中央につたわり文章化されたものとみられる。もともとは十六段からなる物語であったが、絵巻として流布していく過程で省略・整理され、古活字本が出版される頃には十二段の形になっていった。このころから「浄瑠璃」よりも「十二段」という名称が一般的になっていく。さらに浄瑠璃正本として各太夫から板木による製本が刊行されるようになり、芸能面で利用されるだけでなく、草子として文学の分野に影響を与えた。この物語がはやくより座頭により節付けされ、浄瑠璃節と名付けられて語り物とされた。これが人形劇と合わさることでさらなる発展を遂げ、この浄瑠璃御前を主人公にしたものだけでなく新しい浄瑠璃が作られてゆき、竹本義太夫、近松門左衛門が今に続く新浄瑠璃を確立した。義太夫以前の浄瑠璃を新浄瑠璃に対して古浄瑠璃という。その後お座敷で浄瑠璃を語る一派が現れ、座敷浄瑠璃と呼ばれた。これらの多くは歌舞伎芝居で劇場音楽として使用された。
浄瑠璃御前はただの人ではなく、薬師如来の申し子である。通常申し子は仏神が子種を見つけてきて授けるが、浄瑠璃御前は薬師十二神将の一体であるのが特徴的で、浜に打ち捨てられた義経を救う際も、薬師如来に祈誓した浄瑠璃御前がこぼした涙が不老不死の薬となる。異能を持つというよりもその身が仏の転生体であるが故のように思われる。また、義経の危機を仏により知らされたことや、義経を思うあまりに讒言により身を投げた浄瑠璃御前の菩提を弔い寺を建てるなど仏教色が強く感じられる。(山)
【参考文献】
信多純一『浄瑠璃御前物語の研究』(2008、岩波書店)
信多純一、坂口弘之『古浄瑠璃 説教集』(1999、岩波書店)
信多純一『現代語訳 完本浄瑠璃物語』(2012、和泉書院)
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