東海道名所記について

概説

 仮名草子。六巻六冊。浅井了意 (りょうい) 作。1659年(万治2)成立。諸国を遍歴してきた青道心楽阿弥 (らくあみ) が、まず江戸の名所を見物し、その後、連れの男とともに東海道の名所を見物し、気楽な旅を続けながら京に上るという構想のもとに、名所・名物の紹介、道中案内、楽阿弥らの狂歌や発句、滑稽 (こっけい) 談などを交えて、東海道の旅の実情を啓蒙 (けいもう) 、紹介した作品。主人公は『竹斎 (ちくさい) 』の系統にたち、娯楽性をも備えているが、同時に、「道中記」を十分に取り入れ、旅行案内として実用性をもったことが、読者に歓迎される一因となった。

著者について

 作者浅井了意は、その著作の質及び量の上からも仮名草紙の代表的作者であり、同時代に仏教の唱導家でもあった。了意の生年は未詳だが、元禄4年(1691)正月に没し、京ねんは80歳前後と言われる。了以の父は、摂津国三嶋江の真宗大谷派本照寺の住職であったが、東本願寺の家臣であった弟の西川宗治が宗門に背いた事件に連座して、寺地を没収され、浪々の身となった。そのため了意も若年時は苦労したようだが、博覧強記の天分により、一流の唱導家となり、後年は京都の一寺の住職ともなった。

作中の人物設定

 『東海道名所記』の主人公は「世になし者の果て、青道心をおこして、楽阿弥陀仏とかや、名をつきて」とある。これは世に入れない男が落ちぶれ果てて、生半可な出家心を起こして、楽阿弥陀仏とか名前を付けたというのである。ここの「阿弥陀仏」とは、中世以来浄土宗、特に時宗の信者が法名に付けるもので、阿号・阿弥号とも呼ばれる。阿弥陀仏は、楽阿弥とも略称されるわけで、後世安楽を願う殊勝な者の意だが、本作では気楽な男、呑気な男の代名詞のような名前となっている。楽阿弥の出自は定かではないが、冒頭の文から京都あたりが想定される。楽阿弥は四国遍路、伊勢・熊野をめぐり江戸の市中見物を済ませた後で、東海道への道筋にあたる芝口に出たところで、一人の男に遭う。男の年のころは24、5で、色の白いやさ男、大阪の手代で、商用で大回しの船で江戸に初めて下り、上方に帰るのだが、旅なれしないので道連れにしてくれと楽阿弥に頼む。そして二人は狂歌を詠んだりして旅をすることになる。

〈参考サイト・書籍〉

谷脇理史「東海道名所記」,『日本大百科全書(ニッポニカ)』,(「 JapanKnowledge」, https://japanknowledge.com)

富士昭雄『東海道名所記/東海道分間絵図』(国書刊行会・2002)

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