長篠城は1508年(永正5)土岐氏の一族の菅沼元成が築いた宇連川と寒狭川の合流点の北側断崖上に位置する天然の要害の城。代々長篠菅沼氏が居城として利用したが、1573年(天正1)に武田方についた菅沼氏を徳川家康が攻め落城させた。以降、徳川氏にとって対武田方の最前線基地となり、北側から攻めよせる武田軍を想定して大改修を行っている。1575年(天正3)武田勝頼の攻撃に対し家康の家臣奥平貞昌は籠城戦を展開し持ちこたえ、続く長篠・設楽原の戦いによって武田氏は敗北。翌年奥平氏は居城を新城城に移したため、長篠城は廃城となる。