鹿児島城
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鹿児島城は標高107mの中世上山城跡(城山)の東麓に島津家久が慶長6年(1601)に築城を開始し、約10年かけて完成させた平城。中世以来の館造りを踏襲し、華麗な御殿建築が建つ本丸と二の丸の二つの曲輪から構成され、御楼門以外に天守も櫓もないシンプルな城。本丸には政庁と藩主の居館、表書院が置かれ、二の丸には世継ぎ、側室などの居館や庭園が設けられ、城全面の東側には一族や重臣の屋敷地と役所群が広がっていた。城は元禄9年(1696)焼失、宝永4年(1707)再建されたが、明治6年(1873)再び本丸焼失、明治10年(1877)の西南戦争で二の丸も炎上し建物は焼失してしまい、現在、城跡には石垣と水掘りが残るだけとなっている。