慶長14年(1609年)に加賀藩主、前田利長の隠居所として築城された。縄張は当時、前田家の客将であった高山右近によってなされた。同年に利長は未完成ながら高岡城に入城するが、慶長19年(1614年)に利長が死去したため使用されたのは僅かな期間であった。さらに、翌年に一国一城令が出されたため廃城となった。しかし、廃城後も加賀藩の米蔵や火薬庫、番所が置かれ土塁や堀も維持されるなど実質的な軍事拠点として密かにに利用された。
城は未完成であるものの広大な水堀に囲まれており、本丸や二の丸の堀の幅は50mもある。廃城後に利長の菩提を弔うために建立された瑞龍寺は国宝に指定されている。