足利氏館

平安時代末に源義国によって周囲に堀と土塁を巡らせた館が築かれたことが始まりである。義国の孫である足利義兼によって館内に持仏堂が置かれ御本尊として大日如来が安置される。これが鑁阿寺の始まりとなる。1234年(文暦元年)に足利義氏によって伽藍が整備され、足利氏の氏寺となる。館としては中世の在地領主としては最大級の広さを誇り鎌倉時代の御家人の中でも足利氏が最大級の力を持っていたことが窺える。正門を出ると足利学校が置かれている。足利氏の荘園にあった高等教育機関であり、足利一門と有力家臣の子弟が通った。江戸時代には徳川家によって庇護され、近隣の人々が郷学を学んだ。

本堂は義氏によって建立されたが落雷によって焼失し、足利尊氏の父である貞氏によって再建された。再建当時は、最新の建築様式であった中国の禅宗様が取り入れられており、現存しているものとしては珍しいため2013年に国宝に指定された。本堂の西側には一切経堂があり、義氏によって造られ第3代鎌倉公方である足利満兼によって現存の建物が再建された。鎌倉、室町、江戸時代を通じて修理が繰り返し行われたため、部分ごとに様々な建築様式を見ることができ重要文化財に指定されている。

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