E 高取城

高取城は奈良盆地と吉野川に挟まれた標高583mの高取山山頂に築かれた山城。南北朝時代にこの地を納めていた越智氏が1332年に奈良と吉野を結ぶ要衝の芋が峠を監視するため築いたといわれる。一時信長の命で大和郡山城を除く大和の諸城が取壊され廃城となるが、現在残る石垣の城は豊臣秀長の重臣本多利久・俊政(利朝)親子が近世山城として大改修したものである。1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦である西軍の攻撃、また1863年には天誅組の攻撃を受けたが守り勝っている。一国一城令が出された際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。日本国内では最大級の山城であり岩村城・備中松山城とともに三大山城と呼ばれている。

それぞれの曲輪には総延長3.5kmに及ぶ石垣が巡り、27基もの櫓が設けられ、高石垣は高いところでは12mに達し、本丸北西隅には三重の天守がそびえ小天守と多門櫓で連結されていた。山城でありながら敷地がとても広く多くの建造物があった。天守には小天守もありこれは山城としてはとても珍しい。

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