E 和歌山城
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和歌山城は紀ノ川と和歌川に挟まれた標高48.9mの虎伏山に1585年に豊臣秀長が築城し、その後、関ヶ原の戦いの功績で1600年に入った浅野幸長が天守を建て、内堀や石垣の改修を行った。さらに1919年徳川家康の十男頼宣が入城し大拡張を実施し、御三家の紀州徳川藩を創設した。計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定であったが、大規模な改修であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった。また、外堀も拡張して総構えにしようとしたが、これも幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、堀止の地名が残っている。三重三階の天守小天守・台所・乾櫓・二の門等を多門櫓で結んだ連立式天守が特徴であるが1846年に落雷で天守焼失。1850年に再建されるも1945年の戦災で焼失。現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1の面積である。戦後、1958年に天守曲輪の建物群が鉄筋コンクリートで(一部木造)復興された.。
天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものである。石垣は時代により石材や積み方の技法が異なっており、時代ごとの技術の変化や進歩を見ることができる。