さまざまな上演資料

● 辻番付
 
 劇場広告の絵看板から派生したもので、贔屓に配布したり、湯屋や床屋など人が集まる場所に貼り出して興行の宣伝を行う、ポスターの役割を持つ番付である。右側に興行タイトルとなる.大名題<おおなだい>看板、左上に見所となる場面を描いた絵、左下に役人.替名<かえな>(配役)を記載するのが基本的な形式であり、興行の諸事情などを説明する口上も記載される。芝居内容に追加が出た場合は、追加された内容に関する小型の辻番付(.追番付<おいばんづけ>)が出された。江戸では、専属の板元(出版元)が辻番付を定期的に出版したが、上方では贔屓連中がご祝儀として出版したものと考えられ、江戸よりも現存数が少ない。


●顔見世番付

 11月の顔見世興行に際して出版される辻番付の一種である。江戸時代は11月を年度初めとして1年ごとに一座の座組が変わるため、顔見世興行では、芝居内容ではなく、一座のメンバー発表に主眼を置いた顔見世番付が出版された。顔見世番付は劇場正面の意匠を摸しており、上部中央に櫓紋、櫓下に座元名を記し、各役者名の配置や大きさも看板に従って記載しているため、これによって役者の序列を知ることができる。江戸の顔見世番付は、「.面付<つらづけ>」とも呼ばれ、下部に一座の役者の顔ぶれを序列に即した絵組みで示すのが特徴。上方の顔見世番付は、江戸風をまねた例も見られるが、基本的に文字のみである。

●役割番付

 基本的に辻番付より後に制作される、各興行の役割(配役)が記載された番付。三都とも通常は挿絵が入らない。地域ごとに形式の変遷はあるが、江戸では一枚目に一座の役者の紋を枡目状に配した紋付、二枚目以降に大名題以下、小名題や役人替名等を記し、巻末に座元名と初日の年月日を記載して、こよりで袋綴じにするのが基本形式である。大坂では二枚組の役割番付を刊行していたが、明和以降に一枚を上下二段に仕切って役人替名を列挙する形式に移行する。京都は横長型二枚組の形式だったが、明和頃から二枚組の様式は保ちつつ、大坂風に倣うようになる。なお京坂の中芝居では役割を絵尽に添付する例が多く見られる。

●絵本番付
 
 江戸において草双紙体裁の絵本として刊行されていた「狂言.絵尽<えづくし>」「狂言絵本」から発展し、江戸独自の様式を備えたもので、劇場内で販売されたパンフレットにあたる。大きさは中本で、各幕・各場のあらすじを絵で追い、表紙には芝居の名題を記載する。挿絵は鳥居派、勝川派などが担っていた。上演中に幕の抜差しや役者の変更等の改変があった場合、それに応じて絵本番付も部分的に改変して刊行された。絵本番付は、明治20年代以降に役割番付と合体し、さらには筋書とも合体して、現代の劇場パンフレットへとつながっていく。

●絵尽

 絵入狂言本・絵尽狂言本・浄瑠璃絵尽等から発展して成立した上方独自のもので、大きさは半紙本。古くは厚手の鼠色表紙が付き、合羽摺で彩色された包紙で包まれていたが、この包紙は時代が降ると.共紙<ともがみ>表紙に変遷した。後に色付きの封印紙が貼られるようになり、封印を切らなければ中身が見られない仕組みになっているのも特徴の一つ。絵本番付に比べて粗筋を追う姿勢が強く、それに応じて絵組みも細かい。比較的早く演目の固定化が進んだ上方だけに、板木の流用が頻繁に行われており、上演資料としての扱いが難しい場合もある。

●役者絵

 浮世絵のうち歌舞伎に関わるものの総称。舞台図・劇場図・死絵・見立絵・日常図・双六・玩具絵等がある。特に舞台を描いたものは、上演情報をもとに制作される事が多く、芝居の内容、演出、衣裳など当時の歌舞伎を知る上で極めて有用な情報を与えてくれる資料となる。江戸では元禄期(1688-1704)に鳥居派によって大量出版されるようになった。初期は墨一色だったが、明和2年(1765)に錦絵が創始されると役者絵も発展を遂げる。この頃には、写実的な役者絵が制作されるようになり、勝川春章らが役者を似顔で描き始め、役者絵の主流は勝川派に移る。寛政期(1789~1801)に入ると、それまで主流であった細判から大判へと判型が移行し、初代歌川豊国が率いる歌川派が頭角を現し、以降明治期まで役者絵を独占的に制作する。大坂で役者絵が隆盛を見るのは、文化文政期(1804-1830)以降である。江戸の影響下にある事は否めないが、背景を細かく描いて写実的に舞台を表現するなど画風や構図に上方独自のものがみられる。天保の改革以降、中判での作例が多いことも特徴の一つである。京都では細判合羽摺<かっぱずり>の役者絵が刊行されたが、その現存量は極めて少ない。

●鸚鵡石<おうむせき>

 元禄~明和頃までは、物売りの口上などを言い立てるせりふ芸が流行し、「せりふ.正本<しょうほん>」という呼名で売り出されていた。それが衰退し、狂言の中の名せりふを役者の声色で真似るためのせりふ詞章として売り出されたのが鸚鵡石である。安永~嘉永頃まで小本型で出版される一方、文政頃から版型をより大きくした鸚鵡石が出現する。嘉永年間頃からは表紙に多色摺の錦絵が用いられ、三代歌川豊国など名のある絵師が筆をとるようになり、幕末の劇場出版物の花形となっていく。

●台帳、台帳形式の出版物(主に根本)

 現代における台本のことで、江戸時代には「.正本<しょうほん>」と呼ばれた。基本的には、上演前に作者が書き上げるが、上演に際して役者に合わせた改変などが行われる。そのような訂正・追加などについての書込みも残されている場合もあり、上演前後の変更の足跡を辿れる貴重な資料である。本来は作者が用いる幕内の非公開資料であるが、江戸時代には、転写された台帳が貸本屋を通じて流通し、幕内を覗く感覚の読み物として読者を獲得するようになり、中には上演後に出版される作品も出てくる。大坂で寛政~天保に出版された「絵入.根本<ねほん>」はその好例で、巻頭に錦絵摺の口絵を持つ読本形式の台帳である。その配役は実際の上演に基づいておらず、理想的配役で架空の舞台を楽しめる魅力的な読み物だったと考えられる。

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