『菅原伝授手習鑑 』<すがわらでんじゅてならいかがみ>

  『菅原伝授手習鑑』は、『義経千本桜』と同じく竹田出雲、並木千柳、三好松洛らによって合作された人形浄瑠璃で、延享3(1746)年8月に大坂竹本座で初演された。菅原道真<すがわらのみちざね>の太宰府配流を中心とし、親子の情愛や、道真にまつわる伝説などを盛り込んだ作品。道明寺<どうみょうじ>、車引、賀の祝、寺子屋といった見所が多く、現在でも上演回数の多い演目である。
 松王丸・梅王丸・桜丸の三つ子は、名付け親の菅丞相<かんしょうじょう>(菅原道真)の推挙によって、それぞれ藤原時平<しへい>・菅丞相・斎世<ときよ>親王の舎人<とねり>として仕えていた。しかし時平の陰謀により、菅丞相は配流の身となってしまう。展示№374042は、梅王丸と桜丸が時平の乗る牛車に詰め寄り、時平に仕える松王丸も加わって互いに睨み合う車引。隈取や、それぞれの名前に因んだ衣装など、歌舞伎らしい様式美が目を引く華やかな場面である。展示№37の台帳には、弘化4年(1847)5月に江戸の河原崎座で、車引が上演された時の台帳が含まれている。

 菅丞相の養女苅屋姫<かりやひめ>が、父に一目会いたいと訪ねてくる(道明寺)。展示№38では、娘と会わずに立ち去ろうとする菅丞相を、母の覚寿<かくじゅ>が引き止めている。展示№39の絵尽の表紙には、配所で雷神に化身する菅丞相を描く(天拝山<てんぱいざん>)。「坂東彦三郎一世一代御名残狂言」とも記されているが、これは菅丞相役を得意とした三代目坂東彦三郎の引退興行である事を意味している。実際に三代目彦三郎はこの興行後、同じく得意役とした『仮名手本忠臣蔵』の由良之助役を勤めて引退した。
 菅丞相の息子をかくまう武部源蔵は、自分が営む寺子屋へ入門したばかりの子供を身代わりにたてる。しかし、その子は松王丸が菅丞相の恩に報いるために送り込んだ自分の息子であった(寺子屋)。展示№43は、首桶<くびおけ>の中に身代わりとして我が子の首が入っている事を知りながら、菅丞相の息子の首であると確認をするための首実検<くびじっけん>に臨む松王丸を描く。登場人物の思惑が交錯する中、松王丸が我が子を犠牲にする寺子屋の段は、観客の涙を誘い、現在でも人気が高い。

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